見出し画像

「宣伝をしない」という選択。『君たちはどう生きるか』、引き算のマーケティング

こんにちは。モダンエイジの映画大好きマーケター、栗原健也です。

突然ですが、皆さんは映画やドラマやアニメ、その他エンタメ作品を観るかどうか決める際、何を判断材料にしていますか?

あの演技力に定評のある俳優が出てるから、応援しているアイドルが主演だから、大好きな〇〇監督の最新作だから、など「人軸」

『RRR』のラーム・チャランの主演作『ランガスタラム』観たい、、!

予告を観て面白そうだと思った、現代の社会問題を扱ったテーマ性が良さそう、シンプルにストーリーが気になる、など「内容軸」もあるでしょう。

内容的には、いま『CLOSE/クロース』が1番気になります。

またアカデミー賞を獲っている、あの有名原作の実写化、クチコミが物凄く良いから〜、などなど色々な材料を並べて、観るかどうかの判断をしていると思います。

それも多くの場合は、どれか一つではなく、上記の要素、複数の掛け算によって、生活者の「観たい」という気持ちは醸成されます

その「意欲」を生み出すために、作品の情報をリリースし、届け、様々な切り口から宣伝を仕掛けていくのが、映画およびエンタメマーケティングの定石です。

そんな中で直近、「宣伝をせず」、成功を収める作品の事例が連続しています。『THE FIRST SLAM DUNK』、『VIVANT』、『君たちはどう生きるか』…。

『君たちはどう生きるか』

『君たちはどう生きるか』に至っては、初動でいきなり、あの『千と千尋の神隠し』を超える動員を叩き出しました。自分も公開初日の夜に観に行きましたが、シネコンのスクリーンの座席は、ほぼ満席でしたね。

本作は早くからプロデューサーの鈴木敏夫氏が、「宣伝をしない」ことを明言。その言葉通り、謎の鳥が描かれたキービジュアル以外、予告編もキャストも内容も、何も宣伝されないどころか、情報すらもリリースされませんでした。

今回は、そんな「宣伝をしない」という、普通に考えたらイレギュラー過ぎる「引き算のマーケティング」について、色々と書いてみたいと思います。

「宣伝をしない」ことのリスク

そもそも宣伝しないということは、当たり前ですが、かなりリスキーな選択肢です。

一人一人の生活者によって好みは様々ですから、作品の「意欲」を醸成するためには、前述のような「軸」、興味を持ってもらうフックが多い方が有利なのは明白です。そのため情報量が少ないということは、シンプルに観客の取りこぼしに繋がる可能性が高いといえます。

また、宣伝をしないことによって、作品の公開日や放送日を、「知らない」という人が出てくることも大きいです。自分の周囲にも本作の公開日を知らない人が多かったですし、中にはそもそも作品の存在さえ知らなかった人もいました。(特にエンタメに疎い人ではないのですが)

作品について知らない人が、公開直後に観に来てくれることは、基本ありえません。そのため宣伝をしないことによって、公開初週=初動の動員が見込みづらくなるリスクがあります。

映画の興行において、公開初週の動員は、その後、映画館側がその作品を何個のスクリーンでかけるか、1日に何回上映するかなど、編成を検討する上での重要な指標になります

コロナ禍で公開された『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が公開初日で13億近く稼ぎ出したことは記憶に新しい。

フリーブッキング(映画館側で編成をコントロールできる)の中、初動で動員が集まらないと、映画館側がその作品に十分なスクリーンを割いてくれなくなり、ひいては興行収入に響いてきます。

「宣伝をしない」ということは、興行へのリスクの観点から、普通は配給会社側もとりたくない戦略のはずです。

「宣伝しない」ことをメリットにできる「ブランド」の力

でも、そんな宣伝をしないリスクを帳消しどころか、メリットにすら変えられるのが、「ブランド」の力です。

キャストや監督、スタジオに対して、固定客や熱狂的なファンがついてる場合、情報量が少なかったとしても、彼らは能動的に情報収集をして、自ら「観よう」という「意欲」を高めてくれます。そしてそんな熱量のまま、公開してすぐに劇場に駆けつけてくれるので、初動の動員もある程度は見込むことができます

『君たちはどう生きるか』の場合、やはり「スタジオジブリ」、「宮崎駿」という圧倒的なブランド力がファンを惹きつけました。

ジブリパーク

純粋な新作映画(『アーヤと魔女』はNHKで放映)を10年も作っていないというのに、ここまで幅広い層に熱狂的なファンを有しているのは、金曜ロードショーでのTV放映や、ジブリパークをオープンさせた、IP活用の成果もあるのでしょう。

ブランド力をブーストする「バリュー」

ただし、ブランド力だけでは、ファンはともかくとして、ここまで情報がない作品を幅広い生活者に「絶対に観たい」、とまで思わせることは難しいと思います。

というのも名実ともにブランド力が強固なディズニーやピクサーの新作が、仮に全く宣伝をしなかったとして、ここまで初動で生活者が駆けつけるようなイメージが持てるでしょうか。

もちろんディズニー(映画)のコアなファンは、劇場に来てくれると思います。ただし、あくまで個人の感覚ですが、「ディズニー」、というブランド力だけでは、ファン以外の生活者を惹きつけるには、少し弱い気がします。

でも「何も宣伝されない『トイ・ストーリー』の新作」とか、「ミッキーマウスの単独映画が新たに公開するけど、何も情報がない」とかだったら、ファンに留まらず、多くの生活者がいち早く劇場に訪れると思うのです。

『トイ・ストーリー5』製作が決定しましたね!

何が言いたいのかというと、ブランド力に加えて、その作品の付加価値:ニュース性や社会的意義など、「バリュー」が高いことも、おそらく重要なのだと思います。

『君たちはどう生きるか』の場合、ジブリというブランド力に加え、「宮崎駿の10年ぶりの新作」、「引退宣言を撤回してまで臨んだ作品である」といった「バリュー」の強さも、生活者を意欲化させ、初動に駆けつけてもらう大きな要素になったのではと思います。

2013年の宮崎駿監督、引退会見の様子

前置きが長くなりましたが、上記のように、ブランド×バリューの力でリスクを最小限に抑えた上で、宣伝しないことのメリットとしては、大きく以下があると考えられます。

①「興味」を引き出しやすくなる
②「発話」「クチコミ」を生み出しやすくなる

順に解説していきましょう。

①「興味」を引き出しやすくなる

家でもクオリティの高い作品が沢山観られる現代において、映画館にまで来てもらうためには、「観よう」という、ある種の自分ゴト化を伴う強い「意欲」を醸成する必要があります。そのためには「認知」と「興味」、どちらも引き上げることが重要です。

「認知」×「意欲」の掛け合わせで「意欲」は作れる

言葉を選ばずに言うと、お金をかけさえすれば、「認知」は引き上げることが可能です。ただし、その先の「興味」まで動かすのは、ただ情報を届けるだけでは難しく、通常はコンテンツとターゲティングとを入念に設計しなくてはいけません。

情報過多、作品過多の時代、どんどん「興味」を引き上げるハードルは高くなっており
「認知」だけが先行した結果、「知ってるけど、観ない」という、「意欲」にまで至らない状態の生活者が多くなります。

「知ってはいるんだけど・・・」

今回の『君たちはどう生きるか』の宣伝をしない戦略は、この「興味」を沸かせるための「ウルトラC」とも言えるでしょう。逆に何も情報を与えないことによって、心に取っ掛かり(フック)を作るような戦略です。

本作の場合、宣伝はおろか、何も情報を出さないことによって、「どんな作品なんだろう」、「ネタバレされる前に行きたい」、「ジブリ映画を前知識がない状態で観てみたい」といった幅広い生活者のインサイトを上手くつくことができました

「観たい、観たい、観たい、観たい、観たい、観たい、観たい、!!」

そうして宣伝しないウルトラCによって、「認知」だけでなく、「興味」を生み出せたからこそ、ジブリのファンはもちろんのこと、特にジブリに思い入れがないライトな生活者も初動で動員させることができたのではないでしょうか。

②「発話」「クチコミ」を生み出しやすくなる

もう一つのメリットに行きましょう。先ほど、劇場に観に来てもらうには、生活者の「意欲」を刺激することが大事という話をしました。

その「意欲」を醸成する上で、最も効果的なのは、鑑賞者の「クチコミ」です。宣伝が届きづらい時代の中で、実際に観た人の感想や熱狂ほど、信憑性が高い情報はありません。

観た人の温度感が伝わるようなクチコミは、「あの人がそこまで言うなら観ようかな」「みんな良いって言ってるから気になるな」と、未鑑賞者の「興味」や「意欲」を強く動かします。(もちろん拡散すれば「認知」も)

ただし、よほど映画への関心が高い人、SNSをガッツリ使っている人以外の大多数の生活者にとって、映画を観た後にクチこむ、レビューするという行動は、自然にできることではありません。

面倒だったり、忘れてしまったり…、私たちは毎日忙しいからです。

そんなハードルを乗り越えて、思わずクチコミたくなってしまう映画というのは、得てして鑑賞前の「期待値」が高いものです。その期待値を上回る作品であれば、周囲の人に教えたくなるし、その期待値を大幅に下回るものであれば、思わずぼやきたくなってしまう。

忙しい生活者のクチコミを生み出すためには、良くも悪くも、どんな「期待値」を持たせるか、その設計をすることが大切です。

本作の場合は、宣伝をしないことによって、どんな方向にも転んでもクチこまれやすいような、柔軟性のある「期待値」を生み出すことに成功しました。

何も情報がない、何もわからないからこそ、「確かめたい」、「答え合わせをしたい」、という「確認の期待値」が跳ね上がってしまう。

そして実際に期待通りだったのか、そうじゃなかったのか、多くの鑑賞済みの生活者がSNS上にクチコミを投稿しています。

ここでポイントなのが、「わからない」「意図が理解できない」みたいなクチコミは結構あるのですが、頭ごなしに否定するようなネガティブなクチコミがあまり見受けられないこと

ポジティブなクチコミは言わずもがな、本作が宣伝しないことによって作った期待値は「確認したい」なので、「わからない」みたいな一見ネガティブなクチコミすらも、未鑑賞者の「意欲」に寄与するんですよね(俺ならわかるかも!みたいな)。この設計が非常に秀逸です。

一度まとめると、宣伝しないことのデメリットを解消し、メリットを生み出すような条件が揃っていたからこそ、『君たちはどう生きるか』は、現時点で一定の成功を収めることができていると言えるでしょう。

『THE FIRST SLAM DUNK』

既に結構な文量になってしまいましたが、せっかくなので、他にも「宣伝なし」で、成功した作品の事例をみてみましょう。

※以下少し内容のネタバレがあるので、未見の方がいましたらご注意ください。

『THE FIRST SLAM DUNK』も、全く「なし」というわけではありませんが、公開前の宣伝や情報が極端に少ない作品でした。それでも初動から好調に動員し、興収は148億円を突破。歴代興行収入の14位にランクインしました。(23年7月中旬時点)

まず本作の「ブランド」としては、日本が誇る名作バスケ漫画「SLAM DUNK」の映画化なので、熱狂的なファンが多くついています。また「バリュー」についても、原作者の「井上雄彦さんが監督・脚本をする」、「映像化自体が30年ぶりくらい」と、非常に高いものがありました。

この時点で既に初動が見込めないリスクは大部分解消できているので、「宣伝をしない」、という選択肢は理にかなっていたのでしょう。

仮に宣伝の時点で、「山王戦である」とか、「宮城リョータが主役である」などの情報が出ていたとしたら、あそこまで熱量の高いクチコミは、生まれていなかったかもしれません

宣伝をしないことで、「スラムダンクだけど、どんな内容なんだろう」という「興味」と「期待値」を作り、ポジティブなクチコミで、ロングランを達成した成功例と言えるでしょう。

一応本作は、ロトスコープだったりとか、声優の情報が事前に出ていたりもしましたが、このレベルのブランドとバリューがあれば、仮に『君たちはどう生きるか』のように、何も情報がなかったとしても、おそらく動員には影響なかったのでは、とも思います。

(というか、もしかしたら本作の成功が、『君たちはどう生きるか』の戦略に影響したのかもしれませんね、あくまで想像ですが)

『VIVANT』

23年7月期から始まったばかりの、TBSドラマ『VIVANT』も「宣伝をしない」戦略をとっていました。

TVドラマにおいても、宣伝をしないことのリスクは映画同様にあります第一話の視聴率によって、以降のCM枠の価格交渉力も変わってきますので、TV局側としても、なんとしてでも高い数字をとりたいものです。(とはいえ今はTverなど見逃し配信での視聴率も指標として加味されているようですが)

『VIVANT』で事前に出ていたのは、広大な砂漠などスケールの大きなビジュアルや、キャスト・スタッフの情報のみ。具体的なストーリーについては、ベールに包まれている中での放映となりました。

本作のブランド力については、『半沢直樹』や『ドラゴン桜』、『TOKYO MER~走る緊急救命室~』など、数々のヒット作を送り出してきた「TBS日曜劇場」なので、国民的な知名度があります。

ただし、バリューについてはいかがでしょうか。ブランド力はあるとはいえ、日曜劇場はずっと続いているものですし、近年は「連続ドラマW」や『コンフィデンスマンJP』など、スケールの大きな作品も珍しくなくなってきたので、前述した『君たちはどう生きるか』『THE FIRST SLAM DUNK』ほどの強いバリューはなさそうです。

だからこそ、超豪華キャストとスタッフ陣(日曜劇場の顔ともいえる方たち)の情報だけは出しておいて、キャストとビジュアルのイメージで、「なんだか凄そうだな」という「興味」を作る方針にしているのでしょう。

その結果もあって、放送前の期待度ランキングでは、堂々の1位を記録

始まったばかりなので今後どうなるかはわかりませんが、まず第一話の視聴率としては、11.5%の二桁台を記録しました。クチコミも概ね好調のようで、#VIVANTはTwitter世界トレンドで1位を獲得。しっかりと初動の観客を摑まえることができたと言えるでしょう。


「宣伝をしない」という選択の勝利

・ブランド×バリューによって、リスクを最小限に抑えることができる
・情報を絞ることによって、逆に生活者の「興味」に残る
・「期待値」を作り出し、クチコミが「意欲」に寄与するサイクルを設計

これらの条件が上手くハマったことによって、『君たちはどう生きるか』をはじめ、『THE FIRST SLAM DUNK』、『VIVANT』など、宣伝をしない作品が成功を収めることができているのでしょう。

くれぐれもブランドとバリューがない作品が、全く宣伝をしない、という手法だけを真似してはいけません。本当に誰も観に来てくれなくなります…。(もちろん広告費の削減はできますが、それで誰も観てくれなければ本末転倒になってしまいますので)

「意欲」を引き上げるための正攻法はあくまでも情報量を増やし、様々な趣味嗜好を持つ生活者に対してコミュニケーションを最適化していくことです。条件が揃っている作品でなければ、「宣伝なし」はとれない選択肢になりますので、あくまでもご参考までに!

長文でしたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

P.S. 余談ですが……、
『君たちはどう生きるか』、個人的にがっつりアート映画でしたね。ゴダールの晩年の作品群(『さらば、愛の言葉よ』とか『イメージの本』)のような、「わかる人だけわかれ!」的潔さが凄かったです。

宇野維正さんが書籍に書かれていた、宮崎駿監督にとっての「最後の映画」が、本作の位置づけなのかもしれませんね。何はともあれ、劇場で堪能できて良かったです!

「最後の映画」
Netflixをはじめとした配信サービスに押されるメジャースタジオが、潤沢な予算を出して劇場公開前提で映画を製作することが今後なくなっていくのではないか、その前に自分の思うがままに映画を撮っておきたい、という問題意識のもと、作られた巨匠たちのパーソナルな映画。スティーブン・スピルバーグ監督の『フェイブルマンズ』や、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『リコリス・ピザ』など。(下記書籍からフレーズを引用)

※この本、めっちゃ面白いのでオススメです!!






いいなと思ったら応援しよう!