帰路にて
にゃるら著の小説、「蜘蛛」についてのnoteを読んで感化されてしまったので、バスの中で筆を手に取った次第です。
オタクの端くれ、インターネットの内側と呼ばれるところと外側と呼ばれる所を行き来しているような私がきっと「蜘蛛」を読むと、何か心に染みるものがあるのだろうと感じます。今は手持ちのお金が1260円程しかないので買いません。それに本棚にはまだまだ読んでいない本達が今か今かと待ち構えていますから。
さて本日は、朝05:00頃に起床して、07:00頃に家を出て、札幌市へ向かいました。目的は、友人のオープンキャンパスへの付き添い。動物関連の専門学校で、沢山の犬と触れ合うことも出来ました。
友人には明確な夢があります。旅のさなか、「この道に進みたい」「けれどこんな道も良いと思う」「だからこんな時はこの道に進む」と楽しそうに未来を語っていました。それが私にはとても羨ましく写ります。
彼女自身は「お先真っ暗だ」と語りますが、彼女が望む限りは華々しい生活が待っていることでしょう。「目的を持って生活すること」……それは何より大事な事のように感じます。
私にはそんな夢があまりありません。どこぞのヘルドクター集団の1人に憧れて、薬学部を志望していますが、大学の一つも調べていません。短期的な夢はあります。「こんな部屋にしたい」というものがあって、Amazonで家具を調べる毎日。ただ、ふと思います。これを達成した先に何があるのか?
自分の理想を手に入れた満足感でしょうか。それとも、先に何も無い虚無感でしょうか。
きっと、そんなことを叶えている合間に私には「勉強」と「労働」という2つの壁を登らされているところでしょうから、満足感も虚無感もたった一瞬で消え去ってしまうのでしょう。
久しぶりに筆を取って思いますが、やはりこう言うものは毎日書いていれば居るほど良いものなのでしょう。毎日感じている感情ひとつひとつを書き留められるような、そんな文豪のような人間になりたいと、17:00前、西に傾いてきた日に照らされながら思います。
お日様というのはどうも不思議で、その顔を見せているあいだは私たちに未来を見せてくれると言うのに、ひとたび顔を覆ってしまえばどんよりと下を向くことしか出来なくなってしまいます。
けれど代わりにお月様が出ていれば、また孤独の中、月と星だけが私達を見守っている、そんなノスタルジックな気持ちを与えてくれますから、ひとまとめに「お日様がずっと出ていればよい」ということにもなりませんね。
ですが最近は夜に外を出歩くことも無くなりました。外に出ること自体が億劫なのです。
中学校を卒業してしまった今、私が外に出る理由は病院以外にほとんどありません。お買い物も母や父が済ませてしまいます。
あまり外に出ないとまた調子が悪くなってしまいますよ、と精神科のお医者様には言われては居るものの、ゆったりとした日差しと布団の温もりを前にしては、いささか、いえ著しく難しい……
おなかいっぱいのご飯とこの日差し、暖かささえあれば、世の中敵無しでしょうね。
暖かさとバスの揺れが眠気を誘ってきましたので、ここで。