愛と幸せ
あまりに酷い嫉妬と、それに相反する共感で脳が2つに割れそうだった。
私は同性愛者である。現在は女性と付き合っている。彼女もまた同性愛者で、以前も女性と付き合っていた。
彼女は私と付き合っている最中、元カノ……仮にAと呼ぼう。Aと浮気をしていた。その経歴があるため、私は彼女からAのアカウントを教わり、監視を続けていた。
複数あるAのアカウントのうちの1つ、プロフィール欄の文末に書かれた「死ね」の2文字。
市販薬の抜けかけ、吐き気に思考を3割ほど持っていかれた脳で咀嚼した。
最初はそりゃあ、「死ねだなんて!」と思った。けれどその気持ちを文字の起こす度、何となく心情を想像出来るようになってきた。
恋愛関係の「嫌い」は「好きだった」の反動であることがある。Aと彼女の会話で見られた「本当に好きだった」の言葉。
よく分かる。彼女は人に愛される才がある。……少なくとも私よりかは。
Aは彼女に対し悪口を見えるところに書き込んでいた。なのに彼女と浮気をした。
相当好きだったのだろうな、と感じる。彼女に大切な人が居ようと、己の行動がどれほど罪深いものだろうと、彼女と時間を共有したかったのだ。
それこそ、自分の心に残った「好き」の気持ちの現れなのだ。
それはそれとして、他人の幸せを妬んでいる時間は無い。私自身も他人の苦しみを想像して共感している場合では無い。
時間は止まってはくれないし、思うほどゆっくりでもないのだ。
AはAで、新たな幸せを見つけなければ前には進めない。
前に進まなくたって良いと言うかもしれないが、一生引きずって居たって苦しいだけなのだから。
人間らしく生きるために、必要なことなのだと私は思う。