人とは違うことの勇気
たまたまつけたTVでやっていた、NHKのクロ現で特集されていた「ギフテッド」の抱える苦悩について、頭から離れないほど考えさせられた。
実際のギフテッドの人たちからとったアンケートに、学校のテストは分かっても目立たないようにわざと間違えて順位を調整していたとの回答があって、すごくもどかしい気持ちになった。欧米ではギフテッドに対する教育が進んでいて、ほとんどの学校でギフテッド専門のクラスがあるらしい。一方の日本では、良くも悪くも飛び抜けた存在は嫌われるらしい。すごくしょうもないし、育て方がわからないというギフテッドの親の話も共感どころか軽蔑すらしていた。
一方で、もし自分の子供に飛び抜けた個性が出現した時、自分はどのように接するのだろうか。そう考えるとハッとするところがある。子供の欠点を埋める以上に個性を伸ばしてやりたいという気持ちはずっとあった。でももっと想像力を働かせてみて、果たして自分は例え良い方向であっても、他の子と明らかに異質な存在になった我が子を、そのまま素直に受け入れるだあろうか。くだらない同調バイアスが自分の中に働いて、欠点を補うどころか長所まで平均に押さえつけようとしないだろうか。実際に子供を持つ親となって考えたときに、正直自信がない。
自分は親として十分に責任を果たしているのか。常に頭の中にある不安で、これは妻も同じだろうし、世間の親たちが抱えているのだろう。でも何が良い親なのかわからないし、分からないからこそ隣を見てしまう。当然、子供にとっては隣の親のことなんてどうでも良いだろう。僕たちは少なくとも人とは違うことの勇気を持ちたい。そんな目線で番組を見てしまっていた。