男性嫌悪な男ドルオタクの戯言
ハローアイドル
大学4年生、22歳。あと2ヶ月で社会人になる予定。
(書き初めたころはそうだったけど、数年かけて書いたせいで今ではすっかり社会人。それはご愛嬌)
小学生の頃から男性アイドルが大好きだった。最初に好きになったのは東方神起。そこからはとにかく色々。日本男性アイドルの金字塔ジャニーズ事務所から、ジャニーズ事務所の対抗馬である他事務所の様々なグループ、メンズ地下アイドルからインターネット発の配信者グループまで、様々な男性アイドルを好きになった。
生涯をかけて応援すると誓った殿堂級の推しはたった一人。私の人生で誰よりも愛した人。青春の未発達なのか多感なのかわからない感受性の全てをかけて人を愛した。その話は関係ないので割愛。
そして、少し話は変わるけど、当方女子校出身者。現在は共学の大学に在籍しているが、高校3年間を女子校で過ごした。
中学3年生だった頃の私が女子校への入学を決意したのは、男が嫌いだったから。中学生活で男友達はついぞできなかった。喋ることも見ることも、同じ空間にいることも嫌だった。女子校生活は楽園だった。
大学進学時も女子大に進学しようとしたが、希望する学科が自宅から通える範囲の女子大にはなかったことと、私の世間知らずさや男性嫌悪的思想を憂いた母の勧めにより、共学の大学に進学した。
大学4年間を終えて結論、ある程度改善はされたが、男性嫌悪は治らなかった。改善というのも男性と話すときに挙動不審にならない、目を見て話せるようになったとかその程度の改善で、今でも初対面の男性と話すことが怖い。
ここまで書けば気付かれると思うが、私には「男性アイドルオタク」と「男性嫌悪」の二つの自己が中学生の頃から同居している。それはだいぶ自我が確立され成人になった今まで変化していない。それがずっと疑問だった。
どうして私は男嫌いなのに、男性アイドルをこんなにも好きなのだろうか?
長年にわたる疑問。
その疑問が最近になって解消された。その経緯について書きたい。
オタクとしての私
上記の疑問を取り上げるにあたって、どうしても触れておかなければならない私のオタクとしての性格がある。
それは、好きになる対象であるアイドルたちの恋愛についてだ。
ただ、幸運なことに私は推しが週刊誌にすっぱ抜かれた経験がない。そのため、推しが恋愛スキャンダルを起こした場合について自分の感情を語ることができない。想像を述べることはできるけど、それはきっと綺麗事になるから。
ここで触れたい「推しの恋愛」とは、より広義でのことだ。
例えば、雑誌の記事。「好きな女の子のタイプは?」「理想のデートは?」「彼女にしてほしいことは?」私はこのようなインタビュー記事は読むことができない。いや、昔は読むことはできた。知識として吸収し推しへの理解を深めようとしていたが、高校の中盤くらいからは一切読むことも出来なくなった。
原因は、なんとなく知りたくないから。
推しの恋愛なんて、どうでもいい。(よくはないが。)
私が見たいのはステージの上でアイドルとしてきらめく姿だけ。衣装を脱いだ舞台裏なんて決して知りたくなかった。(この考えが強すぎた高校生の時は、私服姿や楽屋での写真を見ることも出来なくなり、衣装を着てステージで歌い踊る画像・映像以外鑑賞できない時期もあった。)
上の質問の中でも、私が一番知りたくなかったのは「好きな女の子のタイプ」どう見たってインタビュー頻出クエスチョン、目に触れないようにするため、非常に苦労した。
どうして知りたくないのか、高校生の人格が未発達な私では上手く言語化することができず、理由は自分でもわからなかった。ただ知りたくなかった。別に私の推したちは実際の恋人について語っているわけではない。むしろトキメキを感じる材料だと捉えてしまえばいいのに、どうしてもそれができなかった。
強烈な嫌悪感を感じた一番の思い出は、ある男性アイドルユニットの推しのラジオか何かでの一幕。「同棲している彼女との理想の朝」みたいなシチュエーションで、声劇をするというような内容だったと思う。
そこで、私の推しは朝起きた瞬間にキスをすると答えていた。所謂「おはようのチュー」的な。推しは意気揚々と声劇をした後、感想を述べる際、楽しそうに笑いながらこう言った。
『女って、そういうの好きでしょ?』
誰よりも愛おしい推しのその発言を聞いた瞬間、背筋に氷を差し込まれたように、体全体がすっと冷えていく感覚がした。ラジオを切った後、一人で泣いたことを覚えている。その時の私を支配していたのは、強烈な嫌悪感だった。自分の体を蛇や百足が這いずっているかのような吐き気とおぞましさに、涙が止まらなかった。
それは、何よりも苦手な「推しの恋愛」について推し自身の声で聞いてしまったことによる同様も含まれていたが、それと同じくらい、推しの口から「女」という単語を聞いたことによるショックがあった。
推し自身、間違えたと思ったのかすぐに「女性」と言い直していたが、私の耳に「女(cv.推し)」はこびりついて離れなかった。今でもその時のラジオを思い出そうとするたびに鳥肌が立つ。
他にもエピソードは尽きないが、思い出すと涙が出てしまいそうになるのでここまでで止める。
発端
本題に戻ろう。矛盾する二つの自己が内在していること。それに対して私が自己分析するきっかけとなったのは、ある男性アイドルグループのYouTubeがきっかけだった。特定を避けるため、所々フェイクを織り交ぜて話したい。
大学3年生の冬頃だったか、ある男性アイドルグループがYouTubeに投稿した動画を見ていた。そのグループは所謂「メンズ地下アイドル」で、私が見ていた動画はYouTuberが多く挙げているような「100の質問」系の動画だった。
そのグループについて少しだけ言及すると、当時で結成から4年ほどが経ち、メンズ地下アイドルの中では中々の売れっ子。体感だが、ファンは女性が99%。今はもう解散してしまったが、解散が発表された時メンズ地下アイドルのオタクの中では激震が走った、割と大きな存在ののグループだった。
どんな話題だったか、詳しくは覚えていない。ただ、話の途中で、アダルトビデオに出演する特定の女優の話になった。
女優の話でメンバーがひとしきり盛り上がった後、一人がこう呟いた。
『大勢の前で裸を晒して、男の欲望の対象になってくれてるんだからね…助かっていますよ』
字幕にしたら(テロップはついていたけど)語尾に(笑)がつくだろう。それくらい、軽々と言い放っていた。にやついた表情は、今でも頭に残っている。
聞いた瞬間、頭が沸騰した。怒りに身体中を支配された。
不快感で、気がついたら動画は途中で消していた。比較的好きなアイドルで、よく見ていた。発言をしたメンバーのことも嫌いではなかった。
どうして?
あまりの怒りで感情が抑えきれず、その場で友人に電話をして、その話をした。
それだけでは収まらず、仲の良い友人たちに会う度にその話をし、「どう思う?」と問いかけた。
回答は皆ほぼ同じだった。
「そいつ、サイテー」
その言葉を聞く度私は楽になった。同性の友人はほぼ共感してくれた。嫌悪を感じた理由について詳しくは語らずとも、皆言いたいことを理解してくれたのだ。
その当時一人だけ、心を許していた男性の友人がいた。
その人と話している時、軽い気持ちでこのことを話した。今思えば、軽率だったと思う。どんなに仲がいいとはいえ、異性にこの話をすべきではなかったのだ。
彼はこういった。
「君は知らないかもしれないけど、男って男だけでいる時はそんなことばっか話してるよ。君が繊細すぎるんじゃない?」
そう言われた瞬間、私の中で何かがぷつんと千切れた。
詳しいことは覚えていないが、彼に向かって反論を捲し立てたことを覚えている。
違う、私は男がそんな話をしていることを批判しているんじゃない、女性をファンのターゲット層にしているにも関わらず、女性の職業についてそんな風に表現した浅慮さに怒っているんだ‥、など。それ以上のことも色々喚き散らかしたが、覚えていない。
結局その友人とは絶縁した。今は連絡先すら知らない。このことだけが原因ではないけれど。
アンビバレントな内省について
時間が経ってから、色々と考えた。
私はなんであの時あんなに怒ったのだろう。
言語化できない怒りの理由が体にとぐろをまいていた。そもそも私は昨今のアダルトビデオに出演する女優の過度なアイドル化の風潮が嫌いである。どんなに美しく、憧れる存在であっても、自分の子供に堂々と「なってほしい」と思えない職業を大々的に打ち出されのは困るからだ。
だけど、その職業を揶揄する姿勢に腹が立った。
なぜ?私も嫌いなのに。なぜ?
なぜ、好きなアイドルのはずだったのに。男が言うとこうも許せないの?
その答えが出た時のことは、覚えていない。でも、答えは唐突にわかった。
私は、私がコンテンツとして「消費」している男性アイドルたちが、アイドルという殻を脱ぎ捨て男性として実生活を生きる時、女性を「消費」しているということが、許せないのだ。
この事実に気づいた時、私は絶望した。その日の夜は眠れなかった。
自分が男性嫌悪であることは重々承知していた。でも。全ての男性を一括りにしてしまうのは違うという考えを忘れないように気を留めていた。
男性アイドルが好きなことは、私にとってある種希望の光だった。私は男性を純粋な気持ちで好きになり、恋をすることができる証なのではないかと思っていた。
でも、違う。もはや自分は男性嫌悪ではない。男性差別だ。
アイドルオタクであることは、私が男性差別主義者を証明する一つの証拠なのではないか?
私が嫌ってやまない「男」という性別を消費している、それが私がアイドルオタクである理由なのでは?
私は、男性に対して、嫌悪するか消費するか。それ以外の方法で、関わろうとしていないのでは?
アイドルは、私にとって「アイドル」という生き物でしかない。彼らはわたしにとって消費される快楽の道具でしかなくて、人間としては好きなのではない。きっと、おもちゃと同じ。
彼らがアイドルでなくて男になるとき、彼らの中の性を感じさせられるとき。
彼らは私にとって消費対象ではなくなる。消費されるかもしれない恐怖に、身がすくむのだ。
今となれば、アイドルたちの恋愛に関する話題が苦手だったのも納得がいく。彼らが男であることに気づかされそうになるから。アイドルという着ぐるみの奥に、人間がいることをまざまざと見せつけられそうになってしまう、その恐怖から逃げていたのだ。
痛いほど気づいてしまった。
私は、男性という性別を、心の底から憎んでいる。
私は生涯、男性と恋愛をすることは無いだろう。私が男性を人間として扱わないから。
子供も欲しくない。生まれた子供の性別が男だった時、自分が何を思うかが恐ろしい。愛する子供だった男の子が成長して、少年、青年、そして男性になった時、私はその子を憎むのではないだろうか。そんな恐怖を抱えながら子供を育てられない。
私の愛おしい推したち。彼らのことが大好きだ。彼らに生かされていると思う。彼らがいなければ生きていけないと思う。
でも彼らが男であることは決して認められない。直視出来ない。
変わりたいなんて思っていない。悪いとも思ってない。こうしないと生きられないんだから。私は私を許している。私が私であるために、私は今日も男性を嫌いでいていい。憎んでいい。男性をいくらでも消費して買い続ければいいし。誰にも迷惑かけずにひっそりと、心の中だけに留めておく。
ただ書き残したかった。この憎悪を、感情を、少しでも吐き出したかった。最低でごめんなさい。でも、そっとしておいてね。
地球の、日本の、東京の片隅で、大勢の男がいる世の中で、今日も密やかに息をするから。
→次章「男性嫌悪のホストクラブ初体験」
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