男性嫌悪のホストクラブ初体験

モラトリアム延長戦

小学校の頃に男子から容姿に関して言われた一言でずっとコンプレックス、男性嫌悪。ありがち。
それから男子と全く喋れなかった。男が嫌いだと思った。小学五年生のあの日に芽生えた強烈な嫌悪はずっと消えなくて、中学生活は息を潜めるようにして過ごした。
このままずっと怯え続けるわけにはいかない。
逃げようと思って、高校から女子校に進学した。

女子校生活は天国だった。
私は女ではなく、1人の人間として呼吸し続けた。
女だけど女ではない、女でいる必要がない。男の存在しないイヴだけの世界。いや、イヴでいる必要すらない。ただ知性を持つ生き物として生きられる空間。
青春時代は、美しいユートピアだった。

この生活がずっと続けばいいのにと願っていたけど、大学受験を迎える頃、悩んだ末に共学の大学を受験した。理由は色々あったけど、その一つは、母の説得。
女性だけの世界に浸るのは楽だろうけど、きっと一生男性を嫌いで居続けてしまう。世界は女性だけではないから、世間に出なければいけない。
筋の通った当たり前のことを言われた。

進学した学科は女子が多い学科で、友達は同性ばかりだったけど、サークルは所謂インカレ、更にいえば男女比が丁度1:1のサークルに入った。サークルの先輩の紹介で入ったアルバイトも、大学生の男女が50人近く在籍する、共学の高校のような場所だった。
そこで、色々傷ついた。
こうも世界は男と女に区別されるのかと驚いた。女子校生活はたった3年間だったけど、空白は意外と長買った。
レディファーストの振りをした男尊女卑を初めて感じて、絶望した。
無遠慮にされる性的な話も駄目だった。
友達と思える男性はほぼいなかった。いたこともあったけど、色々あって絶縁した。
今でも忘れられないことの一つ。
アルバイト先の先輩の男性が、飲み会で私たちのことを「メスーズ」と呼んできた。ひどく、馬鹿にした、ふざけた調子で。そんな先輩のことを、最低と言いながら女性陣も受け入れていた。
空いた口が塞がらなかった。私たちは男のいない世界では人間でいられるのに、男がいる世界では女にならざるを得ないのだと思った。
これが、世間。世間では私は女なのだ。わずか数年前にいた女子校。あの楽園。あそこには、もう戻れないことを悟った。

それでも何とか大学生活を乗り切って、就職活動を無事終え、あとは卒論を残してほぼ授業なし、自由な時間がいっぱい!となった4年生の時。私は決意した。

「大学を卒業するまで、もう男性とは喋らない」

正確にはアルバイト先と内定先の男性、サークル活動を行う上で必要最低限の男性とは話していたけど、新たに男性の友人は作らない。傷つくのも、恐れるのも嫌だったから。どうせ社会に出て男性と関わらなければいけないのなら、今このモラトリアムだけは幸福に浸っていたかった。
あと、少し。少しだけでいいから、私をただの人間でいさせてほしかったの。


男性嫌悪のホストクラブ初体験

あの日は大学4年生の1月、卒業を間近に控えた冬の夜だった。
友人とラーメンが食べたくて待ち合わせをしていた。確か目黒駅。大好きな激辛ラーメン(今はなき方)を食べながら、この後どうするか二人で話していた。

「じゃあさ、ホスト行ってみない?」

その言葉が出たのは本当に唐突だったと思う。
当時はホストクラブやパパ活をモチーフにした漫画が流行っていた。友人の中でもその漫画について話題にあがり、いつか行ってみようと話してはいた。
大学4年生の冬、学生生活最後のセンチメンタルさの影響を受けていたのかもしれない。
学生のうちに、社会科見学しとこうよ。
もうまもなく失われてしまう「学生」という身分でしか発することのできない比喩表現という名の言い訳に、心惹かれてしまった。

だが、そもそもここまで男性嫌悪に対してべらべらと語ったくせに、ホストクラブに全く抵抗を持たない私に、疑問を感じるだろう。

別の記事で書いたことだが、私は男性嫌悪のくせに、子供の頃から骨の髄まで男性アイドルオタクだ。自分の中にある男性へのアンビバレントな感情について、私は長い間悩まされてきた。でも、大学生の頃、その矛盾に説明がついた。

嫌悪するか消費するか、私は男性にその二種類の方法でしか関わることができないのだ。

嫌悪の対象は実生活で出会う男性たちである。
小学生の頃のトラウマのせいで、私は男性に対して自分でも説明のつかない嫌悪を持ってしまっている。全ての男性を一括りにすることは、間違っていると、自分でも思う。
でも、人間の感情に理屈を押し付けることができるだろうか?
理屈ではどうしようもないほどわかっているし、性別という先入観を持たずフラットに男性を見たいけど、実際に生身の男性と対峙する時、そんな理想は何の役にも立たない。
この感覚を実生活の知人に話すつもりはない。だから、ひたすらそっとしておいてほしいのだ。

そして、消費の対象。それが、私が愛してやまないアイドルたちである。
私は彼らが生身の男性だと認めることができない。ステージの上できらめくような笑顔で歌い踊る、そんな姿しか持たないファンタジー的存在としてしか、彼らを認識できない。
偶像とはよく言ったものだ。まさに、偶像でしか男性に好意を抱けない。彼らアイドルが舞台を降りて日常生活を営むと男性に変化するとき、愛おしかったはずのアイドルが嫌悪の対象となる。
自分が憎む男性をアイドルとして消費する。男という性に対する、自分なりの復讐なのではないかと思っている。
詳しくは下記で。

だから、私がホストクラブに嫌悪を感じないのは自然なことなのだ。
だって、究極の男性消費でしょう?
興味が湧くのは当たり前。

大学生、ひいては学生という身分に終わりが近づく頃の、魅力的な冒険。
山手線でたった15分程度の旅。
私たちは、歌舞伎町に向かった。



ハロー歌舞伎町

新宿に行くのは初めてではない。大学もアルバイト先も新宿に近い場所にあったので、遊びや飲み会で何度も訪れている。
それでも、「ホストクラブ」という未知の空間のために訪れた新宿は、いつもと違って見えた。私たち大学生の遊び場ではない、夜の街の姿を初めて見た気がする。

いざ、ホストクラブへ。
そう意気込んで歌舞伎町に向かい、TOHOシネマズのあたりを練り歩いては見たもの、私たちはホストクラブのにどうやって行けばいいのか、ホストクラブがどこにあるかも知らない子供だった。
1月の夜の歌舞伎町は寒かった。長時間目的地も決まらず外を歩くのも…と、私と友人の顔に諦めが浮かんできた頃、一人のキャッチに声をかけられた。

「お姉さんたち、ホストの初回興味ない?」

普段ならうざったくて仕方ないはずの申し出が、こんなにも魅力的なことはなかった。
そのキャッチは全身真っ黒で細身で背が高く、自分がホストなんじゃないかと思うような整った顔立ちをしていた。彼に案内をお願いすると、「どんな店がいい?」と尋ねられた。イケメンが多いとか、有名店がいいとか。なんでも言ってよ、と彼は優しく微笑んだ。

なんでも、と私は答えた。なんでもいい、ホストに行ってみたいだけなの。
じゃあ俺のおすすめにするね、と言われるがままに連れて行かれた場所。今となっては、もうどこにあったかも分からない。

私が初めて足を踏み入れたホストクラブは、黄金だった。薄暗い怪しいイメージを抱いていたけれど、店内は明るくて、ゴールドを基調にした内装に目が眩んだ。「お金」を使う空間だ、と思った。

ホストクラブの初回のシステムは、60〜120分ほどで、かわるがわるホストたちが席に着く。客が複数名の場合は、一人の客につき一人ずつ、マンツーマンで接客されるようなイメージだ。
1組が席につく時間は大体5分ほど、そのタームをひたすら繰り返し、最後に一番気に入ったホストを一人だけ「送り指名」に選ぶ。便宜的に送り指名のホストがその日限りの担当のような扱いになるが、そのまま店で飲み続けるか、それとも退店するかは自由に選ぶことができる。
ちなみにこの間、お酒は飲み放題・タバコは吸い放題だ。私は今時の若者に珍しく喫煙者なので、タバコが吸い放題というのがまず何よりも魅力的で(最近の東京の居酒屋は本当にタバコが吸えない)、テンションが上がった。

さて、初回スタート。
人生で初めてのホスト接客。…を語りたいところだが、正直に言ってしまうと、ほとんど覚えていない。

おそらく、初回が終わるまでに私についたのは10名ほどだったかと思う。わずか5分ほどで相手を知るためには、似たような会話にならざるを得ない。
まずは、質問。
「名前は?」「出身は?」「今学生?」「今日はどうしてきたの?」「歌舞伎町はよく来るの?」「ホストは初めて?」
そして、お世辞。
「てかめっちゃ可愛いね」「すごいタイプなんだけど」「モテるでしょ」「こんな可愛い子につけてラッキー」「さっき可愛いなって思って、あの席行かせてくださいって内勤(黒服)に頼んだんだよね」

全員、同じことしか言わなかった。ちなみに隣の友人も全く同じことを言われていた。
後の話だが、店を出た後、友人は「お世辞ばっかりでうざかったね」とうんざりした顔をしていた。
確かに、お世辞ばかりの空間に辟易したのは否めない。でも、私は友人ほどの嫌悪感を感じなかった。
不思議なことに、例えば大学の同級生やバイト先の男性に同じことを言われたら背筋が粟立つような気持ち悪さを感じるのに、ホストたちの歯の浮くような薄っぺらい褒め言葉には、何の嫌悪感も感じなかった。

その理由は、初回接客中に彼らの目を見てるうちに、気づいた。
これが、仕事の言葉だからだ。

男性が女性に言う「可愛い」は、ほとんど下心でできている。
可愛いと褒めることが目的じゃなくて、その先にある何かしらの関係の発展を望んでいるから、彼らは私を褒めちぎる。多くの場合、最終目的はセックスだろう。
そんな猥褻な可愛いなんて、言われること自体が嫌だった。だって、それってどうしようなく消費されてる。私たちは生きてるだけ、歩いているだけ、好きな人と好きなように過ごしたいだけなのに、そこに男の下心が介入して褒め言葉のふりをして私を消費する。
苦しかった。辛かった。だから、男は嫌いなんだ。

でも、ホストのいう可愛いに、性は含まれていない。
正確には、含まれてないと断言はできないかもしれない。でも、彼らの目的は金銭だ。最終目的は私を女として消費することではなくて、私から金銭を消費すること。
それって、私がアルバイトでお客様に「ありがとうございました」と言うのと、何も変わらない。

ホストの言葉は、ほとんどが嘘だ。信じるのは馬鹿らしいし、おすすめしない。
でも、その言葉が嘘だからこそ、私はあの空間を楽しむことができたのだ。

しかも、ホストたちは、私から金銭を消費するために、疑似恋愛をしようとする。
嘘でも可愛いと褒め、恋愛の形をとって関係を発展させ、愛はお金であると言う価値観を教える。

結論から言うと、私はホストクラブで展開される擬似恋愛に魅せられた。
恋愛のふりをして、私はホストから男を消費する。ホストは私から金銭を消費する。
男性は嫌いだ。でも、恋愛がしたくないわけではない。ただ、嫌悪の対象だからできないだけ。消費の対象であるアイドルたちと恋愛ができるわけない。

でも、ホストは違った。
彼らは私の消費対象なのに。
私に買われる存在なのに。
私と疑似恋愛をしようとする。下心のない、恋愛を。

ホストクラブは、最高級の消費。
男性嫌悪こそ、楽しめる異空間。
最高のエンタメ。

私にとって、ホストクラブはある種の救いとなった。

歌舞伎町で私が出会ったホストたちについて。
それを語るのは別の場所にしようと思う。

ただ、一つだけ。
私を救ってくれた、今はもう会うことのない歌舞伎町の貴方へ。
至上の幸福を祈る。

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