「静かに、ねぇ、静かに」
久しぶりに書く。
家をリフォームしている間、ノートパソコンを仕舞い込んでいたせいで書く気にならなかった。そもそも仮住まいの3階の1Kは狭すぎて、暇つぶし以外の目的で本を読む気力も起きず、本を買っても置く場所はなく、本を読んでも書くのが億劫で。
っていうのは全部建前でホストクラブにどハマりしていたせいで書く気が起きなかったんでしょう。(と言っても、一日一冊くらいは何かしら本を読んでいたけど。それ以上に快楽に生きすぎていた。)
久々に感想文を書きたくなったのでパソコンを開きました。
「静かに、ねぇ、静かに」は本谷有希子さんの短編集。「SNS時代を生きる若者に読んでほしい」という書評を見て何となくKindleで買ってしまった。本谷有希子さんは以前「異類婚姻譚」を読んだことがあるような気がするけど、記録に残しておかないと人間全部忘れてしまう。まだ22歳のはずだけど記憶力と気力は10代の頃のそれと比べて圧倒的に落ちぶれている。昔は一度読んだ本の内容は細部まで思い出せたのに、今はタイトルを見ても読んだかどうかすら曖昧な時がある。悲しいね。でもそれに抗いたいからnoteを始めました。(笑)
「本当の旅」
不快な中年3人組の哀れな旅行の話。
一読後恐怖で一人でいるのが怖くてリビングまで舞い戻ってしまった。SNS時代がどうとかよりも、何よりも、怖い。ホラー小説かと思った。
海外で知らないところに連れ去られる、文字列だけでも勿論恐怖だけど、経過が国名に描かれているのが本当に本当に怖かった。怖がりなうら若き二十代女性が深夜に読む話ではなかった。私、とても下世話でしょうもない人間だから、殺人事件のWikipediaとかを読むのが大好きなんだけど、あまりの恐怖に自分の下品さが恥ずかしくなった。想像力の欠如が甚だしすぎて。完全に話がずれているけど実際にあった事件をフィクションのように捉えて楽しんでさえいる自分の感性が下品でものすごく嫌いで、でも野次馬根性だけは旺盛だから抑えられない。流石に人の前で言わない程度の良識は持とうと思ってるけど、この話で本当に自分は下品で哀れな大衆だと恥ずかしくなりました。
SNS時代、というテーマから読書感想文的模範的優等生的(でも感じたこと、感じようとしたことではある)感想
この3人がしている旅行とは早い話巷で噂の「自分探しの旅」に近い。でも彼らが探し求めている自分とは何なのかなというと、SNSに映る自分。彼ら(主にハネケンを中心とした)の考え、主張がつらつらと至る所で明示されてるけど、どれもどこかで聞いたようなコピーばかり。SNSから繋ぎ合わせて作った自分達をSNSに載せるために旅行してる。超楽しくなさそう。文中の言葉を借りれば「現実を僕らなりのいい感じに編集していける」から、編集するための素材を集めに行くだけ。
ホテルの部屋で誰も喋らず携帯いじり続けているのはウケた。あれは確かにSNS時代の若者みんな共感するんじゃないかな。SNSがない時代の旅行でも勿論無言の瞬間はあったと思うけど、SNSの登場によって「人に見せるための旅行」が増えたから、皆誰も見ていないのに無言でいても楽しさを演出するために写真や動画を作り続ける。別に悪いことじゃないと思うけど。楽しさって記録に残せた方がいい時もあるし。づっちんのセリフのように記録のために旅行しているとは思ったことないけど、一理あるなあって思った。
語り手のハネケンがとてもわかりやすいけど、自分探しでいるようで、結局SNSに映る自分を探してるから他人に全て委ねてる。行き先も何でも相手に任せて、気に入らないことや満足いかないことは不平たれてる。探す自分は相手に見られていない限り存在しないから自分からは何も見つけに行けない。
登場人物は皆社会から落伍したというかうまく適応できていない人物ばかりで、いい歳なのに満足にお金も稼げていない。彼らの年代が皆順当に手に入れてる社会的地位や家族、お金を誰も手に入れていない。だから彼らは自分の存在意義や価値を自己の思考に見出そうとしている。でもわかるよ。本当はお金に依存した方が楽だし楽しいのに、それができない時って否定するしかない、馬鹿にするしかない。一人だとちょっと惨めかもしれないけど仲間がいると無理矢理笑い合うことでポジティブになったつもりに変換できて自分の世界に溺れたままでいれるの超楽だろうね。こういう人たちって自分より下と認定した人に対してびっくりする程拒絶的な振る舞いする(食堂のおばちゃんに対して)
結局誰も現実を見ていない。自分がいい歳こいた中年の事実も、この旅行が本当は楽しくないかもっていう事実も見ていないから、現実から目を背け続けた結果の悲劇。でもラストはびっくりした。奈落の底へ物理的に連れ込まれてしまうのは比喩表現的なラストだなと思ったけど面白かった。SNSを活用している私たちの世代なら皆共感する点が一つはあると思うし、最後のオチは予想できなくてエンタメ的な要素もあってとっても読みやすかった。怖かったけど。
そもそもクリエイターを名乗ろうとしている人たちが旅行でインスピレーションを得るのめちゃくちゃきもいなと思いました。あとこの人たち心動かされた瞬間に対して何も言及しない。言及するからこそ創作が生まれていくのに。なのにクリエイターぶるって怖い!その有り様をこうも克明に芥川賞作家に描かれると凡人は何も言えなくなってしまいますね。
「奥さん、犬は大丈夫だよね?」
これだけ寝起きで読んだとのよくわからなくてぼーっとしてしまったから割愛。今度ちゃんと読み直してみること。
「でぶのハッピーバースデー」
あ、こういう話なのかなって途中で辺りをつけたことが全部ことごとく外れている感じがして、迷路に迷い込んだ気分。
失業中の夫婦。序盤は、夫は平然と妻のことを「でぶ」と呼んで、妻のガタガタの乱杭歯を矯正しろと言い続ける。これだけ書くととんだルッキズム小説。
夫は妻の歯を「印」という。自分たちが何かを諦め続けてきた印だと。確かに、それはとても同意。見た目ってどれだけお金をかけられてきた人間であるか、どれだけ価値が認められてきたかっていう最もわかりやすいアピールポイントだもん。だから私だって頑張って肌によくわからない成分の化粧水塗りたくってるし、毎日眠い目擦ってお化粧するし、他のブランドだったら0が一つ違うなって思いながらちょっといい服買ったりする。もちろんそれが好きっていうのもあるけど、その価値観て洗脳されてしまった結果だから。それが世間から見て「幸せな人」って思われるための武装手段だと思ってしまっているから。その価値観すら洗脳されてるのウケるけど。
口元っていうところがまた、絶望的だよね。口って化粧であまり誤魔化せない。目とか肌ってまだどうにかなるけど、口の構造を変える化粧って難しいから。素が出てしまう。どんなに美人でも口元が気になる子って多いもんね。口って課金しないとなかなか直せない。
ルッキズム小説かなと思って読んでいたから、この話に二人の「親」の話題が一切出てこないのが気になった。美醜の問題って親に直結する。親の顔がどうとかそういう問題だけじゃなくて、親が子供の顔に対してどう接したのか。子供の歯を矯正させるのって大抵親だしね。だから何となく容姿の問題を取り扱いたいわけじゃないのかなと途中から思った。気づくの遅い。
妻が就職したファミリーレストラン。無職の夫がそれを毎日見張りに来て、ダメだったところをメモに書き留め二人で改善のため練習する。このシーン本当にゾッとした。夫の所有物すぎない?なんで仕事していない夫がわざわざ妻を見張りにくるんだろう。仕事探せばいいのに。私は一般人で普通の人だから心底そう思った。
それに何の疑問も抱かず従う妻もただただ恐ろしい。
フェミニズム小説?って思ったけどそれも違いそうだった。妻は夫にも仕事を紹介し、夫が就職した後は普通の描写が続く。妻を常に支配下に置いておきたい(容姿のことさえも)夫の話かと思ったけど、そういうわけでもなさそう。
この二人って、結局何がしたかったの。
この夫婦は結局負け続けてる。何に負けてるかは本人たちにもわかっていないけど、世間に対して自分たちが最初から欠損していたことを見せつけようとしないと、気が済まない。そして直す気もない。夫は歯を直そうとしたけど最初だけ。狭い世界で生きている蛙はとても居心地がいいから、向上心なんて見いだせない。上があることを認識してるけど、どうしようもしない。自分の今の生活を維持するのに精一杯だから、だからでぶは片側だけ引き締まった怪物でいても、気にしない。
諦めの小説。諦めの中で寄り添って傷を舐め合って生きていく小説なのかな。
この「でぶ」が「デブ」じゃなく「でぶ」であることは、親しい者同士にしかわからない愛情がこもっているという意味なのかなと。
以上3遍の短編集、全部こういう終わり方かなって予想したものとは大幅にズレた結末で面白かった。大どんでん返しってわけではないけど、予想しづらい、通常ルートとは少し違くてちょっとダークであまり見かけない。純文学ってオチがよくわからなくて眠くなっちゃったりハア?ってこと多いんだけど、ストーリー展開だけで飽きさせなくてとっても素敵。また他のも読んでみようっと。
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