朝井リョウ「生殖記」

キラーワード、パワーセンテンスに貫かれて、身動きが取れない。
面白かった。とても。
朝井さんの作品は、エンタメが純文学に昇華されている。起承転結のはっきりしたストーリー展開ではないのに、ジェットコースターに乗っているかのような急上昇・急降下を物語の中で何度も味わえる。
でも単純な登り降りだけではない。読者に何かを考えさせずにはいられない。純文学の定義とは違うかもしれないけど、私にとっての純文学の大きな構成要素は二つで、芸術性と内省促進だ。この作者の作品は、後者の要素がとても強い。決して理解が難しい文章ではなく、キャッチーな言葉で、それでいて今を生きる現代人なら必ず共感してしまうような問いかけと回答が散りばめられている。社会を感じる能力がとても優れているのだろう、羨ましい。こんな小説が書ける人生、どんなものなんだろう。

普段ネタバレしすぎないように気を付けて書いてるけど、今回は気にしなーい。

まず序盤の構成から面白い。1ページ目の時点で、語り手は人間ではなく何か擬人化されたものなんだろうと感じることができるが、そこから二転三転種明かしまでくるくる変わる。魅せ方が上手すぎる。

途中きっと多くの人が心惹かれるシーンが、同僚の樹との公園での会話だと思う。
凸と凹。体の性別、心の性別、この二つに性格の性別という概念が加えられた。私はこの三つの性別全てが女で三位一体なのでめちゃくちゃ生きやすいし生活しやすいなと思いました。
このテーマはきっと私より遥かに思考の深い賢者の方々が多くを考察しているだろうから、自分の浅慮を書き殴るのは気が引けちゃいます。
印象深かったのはその後樹たちの関係が回復した時、樹がそんな悩み相談なんて存在しなかったようにケロリとしてること。これ、本当にあるあるというか。人間って自分が苦境に立たされた時は視野が狭くなるのに思考が深くなって、関連する事象全てに対して自分なりの考察を深めて堰を切ったように意見が止まらなくなるのに、物事が上手くいき始めるとその幸せに溺れて思考なんてできなくなる。なんかそれを思って悲しくなった。とても面白い考え方なのに。

ここから、この小説を読んで一番書きたくなったことを書きます。


中盤から頻出してくる「生産性」という言葉への違和感。この言語化、素晴らしく腑に落ちた。
生産性というテーマ。これこそがこの小説のわたしにとっての真骨頂であり、今までの読書体験の全てを塗り替えるような衝撃だった。
だって、これから本を読むたび、自分はなぜ今本を読むのか。その気持ちに、生産性という言葉がちらついて離れなくなる。拡大という名の呪縛を見せつけられてしまったから。

この小説を読んだ後、はっと恐ろしさを感じたことが、共同体の構成員として繁栄に向かうための行為を自分がしていることに嫌悪感を抱き、悪であるような気分になったことだ。
この小説で共同体の構成員であることは決して否定されないし、悪だとも言われない。ただ傲慢であることが描かれるだけ。傲慢と書くと必然的に悪というイメージが付き纏うが、それはこの本の主題である生殖本能ゆえの行動であるし、そもそも善悪がテーマではない。ただ、知恵を持つ人間であるがゆえに繁殖にプラスアルファ(現代的な言葉で言うと「豊かさ」な気がする)をつけようとすること。その特権意識を、悪だと思ってしまう。
これがラストの描写と繋がる気がする。ラスト、語り手である生殖本能が異性愛が絶対にならない世界への希望にほくそ笑む主人公に対して(この説明は適してないと思うけど純粋にそう感じた)自身の絶滅を感じる。それまでこの小説を読んでいると、異性愛→生殖→繁栄の矢印に違和感を覚え、嫌悪感を感じざるを得なくなる。その先は生殖本能の喪失に向かう。私、寝る前に枕にピローミスト振りかけるのが習慣なんだけど、これってなんのためにやるんだ?QOLを高めてプラスアルファをつけることで幸福を覚え繁栄・成長を求めようとしているから?とか考えちゃったもん。考えざるをえなくさせられたの。そして、なんだか罪悪感を感じてしまった。別に悪いことしていないのに。

語り手の生殖本能が自らの絶滅に恐怖や危惧を感じてなさそうな描写も怖い。ほとんどの生命体は自分達の種が絶滅すると言われたら恐怖を覚えると思う。それが自分が生きているうちに起きることではないにしても、自分に直接関係ないと思うにしても。それくらい、絶滅という事象は私たちの本能に禁忌だと刻み込まれている。これこそ、私たちが持つ生殖本能。だから、私は絶滅の可能性を示唆されたことに恐怖を覚えた。

でも、語り手当人はというとそれまでの描写と同じ、淡々とした語り口。それがこの語り手に対する全能感、人間が制御しきれない本能というものへの抵抗の虚しさを感じる。この達観した姿勢に、逆説的に私は何があっても本能には抗えないんだろうなと思った。神なき日本の神は、人間の本能なのねきっと。

クライマックス、語り手が自身の今後について考えるシーン、300ページ弱の単行本とは思えないほどの壮大さと恐怖を感じた。何この展開。こんな背筋がぞっとするなんて思わなかった。
でも。その恐怖は、私がどうしようもなくヘテロの共同体構成員である事の証明。だからこそ味わえたんだと思うこの恐怖、愛おしい。

構成員として、今日も労働で社会貢献しようと思う。
この小説を読んだ後でも、私はどうしようもない労働者。拡大したくてたまらないの。
嗚呼、本能って不可侵。宿命って言うのかな、ぴったりな言葉だね。

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