MOT Annual2022「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」


東京都現代美術館に行くのは初めてだった。清澄白河って思ってたより渋谷から遠い。噂には聞いてたけど現美の建物って随分綺麗。
大学で美術館の勉強をしていたとき、日本のアートコレクター界の発展が遅れているのはアート=高尚なイメージが強すぎて、若者をとりこめていないのが第一課題だと聞いた。確かにその通りだと思うし、西洋美術館の常設展とか庭園美術館とか、綺麗だけど少し堅苦しく感じる。現美はその点近代的でよかった。無機質なコンクリートと木のバランスが良かったしテラスもよかった。美術館は限られた知識層のための場所ではなく、市民に開かれている場所であるべきだと思ってはいるから、ああいうオープンスペースで一緒に足を運んだ友人と語り合うの楽しそうだね。


とても面白い企画展だった。学生時代は古典主義大好き人間だったから西洋古典主義絵画ばかり見てきたけど、現代アーティストの展覧会って真っ直ぐに疑問と問題提起を掲げてくるから、その分鑑賞者の思考も否が応でも活発になって、思考することが楽しくなる。テーマも現代社会の問題が多いから考えやすい。アナザーエナジー展とかルール展とか、最近そういうの流行ってるのかな。誰でも意見を持ちやすい展示。そう、それがいい。美術が存在するための理由の一つが、作品と鑑賞者の間に生まれる化学反応なんだから。


まずタイトルが素敵。オタクだから、タイトルを聞いたとき真っ先に「自分の萌えは誰かの地雷」という言葉を思い出した。
私自身の正しさって何なんだろう。私自身の悲しみと憎しみって何なんだろう。これはまた別の機会に。
要は価値観は混在して当たり前。それは第一前提。この世界には相容れない価値観が蠢いている。では、そこから何をするべきなのか、どう解決するべきなのか?受け入れるべきなの?啓蒙するべきなの?
大事にしたいのは、何をするべきなのかにも正解は決してないと理解すること。だって、私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみなんだから。受け入れることすら罪になる。許すことすら罪になる。自分が全知全能で入れるのは自分の思想の中だけ。他者と生きていきたいのなら世の中を白と黒で語ってはいけない。
でもそこで思考停止になって「どうすることもできない」と諦めると自分の意思なく他人に縋って生きていくしかない受動的な人間になってしまうから、意見を持つことだけは大事だよね。



1.高川和也《そのリズムに乗せて》

52分もある長い映像だったけどとても時間を感じなかった。
アーティスト自身の過去の日記をラップに乗せて再編成していく試み。とても興味深かった。
自分の価値観が大好きだから、本を読んだり映画を見たり企画展に行ったらできる限り感じたことを書き残すようにしている。鑑賞して楽しむだけでなくて、外に吐き出したいから。受動だけでなく能動でいたい、それに思想を文字にしてみると驚くほど自分の考えが洗練されるし。
今回のこの作品で行われていた試みはそのプラスワン、形残した思考の更なる再構築・再編成だった。自分の過去の日記をラップという形で再構築する。面白い。こうして自分の中だけの未熟?って言っていいのかわからない激情や感情が研磨されて人に見せるためのものに生まれ変わっていく、芸術が生まれる瞬間を見せられた。
出演していたラッパーの方は全ての言葉はラップだと、リリックだと言っていた。人生アーティスト理論のようで素敵だと思った。
逆に語られなかった言葉はラップにはならない。だから語るしかない。表現者らしい意見だなと思った。
ラップっていう形がまた面白い。韻を踏んだり言葉遊びを使いならが再構築することによって驚くような化学反応がうまれて自分の思考から内容を変えていく。メタモルフォーゼだね。

色々な方が出演して自分の意見を述べていたけど、相反するものも多かった。その時点で価値観の違いが混在するけど、この映像ではそれを融合で解決していってたのかな。何でもいいけど、面白かった。私も何かを吐き出したくてたまらなくなった。自分という人間の思考を刻みつけたくて仕方なくなった。
語られなかった言葉は誰にも知られない。人は年齢とともに変化するから自分ですら覚えていないかもしれない。思考とは自分が自分であることを存在する唯一の理由かつ手段。それを書き残さなくて、どうして生きていられる?

私は小難しいこと考えるのが大好き。苦しい思いしても思考するのが大好き。だって、思考しなければ私じゃない。私が私であるために思考してる。至極真っ当な理由で、小賢しい人間なのだなあと思った。

この映像が衝撃的すぎて、しかも最初に見てしまったので、他の作品については何となくしか書けない。覚えてることだけ。


2.工藤春香

無知だから優生保護法の条文見ていて架空の国の話でもしてるんじゃないかと思ってびっくりしてしまった。日本でそんなことが声高に叫ばれていたなんて。善悪だとか正義だとかそういう意味じゃなくて、今の日本でそんなこと言おうもんなら炎上に次ぐ炎上で死ぬしかなくなりそう。でもそれが当たり前だったって、価値観なんて流動的で本当に一瞬のものでしかないんだなと。
一番タイトルの言葉らしい展示だなあと思った。とても面白かった。


3.大久保あり

まさに思考の再編成だなあと思った。面白かったしついつい写真を撮りたくなってしまう空間だった。やっぱりこれからの展示会は空間デザインの時代なんだなあと。


4.良知暁

スライドの一定の音がずっと聞こえてきて、その音が厳粛なリズムを作り出して、空間に入った瞬間体がこわばってしまった。言葉は結局思考を形取るための記号にしかすぎない。勿論、その記号を美しく飾り立てるためのテクニックによって対話者の印象には差が生まれるし、名前忘れちゃったけど使ってる言語によって人間の思考は決定するみたいな理論、あれも間違ってはいないと思う。
でも記号が思考を上回ってはいけない。ボキャブラリーが感情を凌駕することはないのだから。それを間違えたくはない。言葉が先じゃない、感情が先。私が私たる所以は言葉ではなく、思考が先に生まれたから。思考するために言葉を使う。言葉を使うために思考していない。これから先の人生でここ、勘違いしないように。


総じて面白かった。関係ないけど今ほろよいのCMのブギーバックカバー聴いている。この曲切なくてふわふわしてとても素敵。夏の夜にクリームソーダのプールを月明かりの下で泳いでる感じ。どこにもない青春を追い求めてるようなノスタルジックで好き。


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