高瀬準子「犬のかたちをしているもの」


たった今読み終わった。無性に悲しくて、泣きそう。触れられたくない部分に触れられたようでとても苦しい。


メインの登場人物は三者。薫、郁也、ミナシロさん。郁也のことずっと読み間違えて「ゆうや」だと思っていたから、優しい柔らかい響きの名前のイメージだったのが、急に骨がしっかりした人物像に変わってしまった。失敗した。

私は男性に共感することはないので、郁也の気持ちは分からない。終始身勝手だなとしか思えなかった。郁也が薫を愛しているとは思えなかった。だから、薫とミナシロさんと、愛についてだけ書きます。

奥泉光さんの後書きにもあったように、薫は常識的な人物として描かれていて、最終的に他人の子供を受け入れるという流れになるのも読んでいるうちに想像がついて、奇特な決定なのにとても自然な心の流れに読める。

ミナシロさん。子供を産むと子供をもつって違う、すとんと胸の奥に落ちた。

恋人がお金を払って他の女性とセックスをして、子供ができてその子を貰ってくれと言われる。あらすじだけ書くとセンセーショナルなスタートだし、私もその衝撃に惹かれて購入した。でも、筋立ては少し異なって、何よりも考えたのは愛についてだった。
愛は祈りだと思っている。(舞城王太郎さんの影響が非常に強い)
薫の独白にとても共感した。私が人生で愛した人は両親を除いて1人だけ。その人は私がその人の人生に居なくても全く構わないし問題がないので、ただ幸せになって欲しい。3食困らない生活をして、この世の嫌なものから遠ざかって、幸福な気持ちで生涯をまっとうして欲しいと心底願う。これは祈りであり、祈りほど情熱的でかつ平穏な、激情であるはずなのに凪いだ海のような達観した気持ちは私には無い。だから、愛とは祈りだと思うし、祈りであって欲しいと思う。
恋とは違うけど、恋も激情であることに変わりはない。ただ、その激情が平穏な柔らかい、温かな感情として自分の中に残ることはなくて、まっさらに消えてしまう。無関心になるか、もしくは面倒に感じるか、嫌になるか。そうなってしまったら恋だ。人を好きでいる最中にそれが恋か愛かは分からないかなと思うけど、少なくとも私はこの人の為に祈れないなと思ったら愛ではないなということだけ分かる。
私は自分が世界で一番好きなので、誰かのために死ねるなんて冗談でも口に出せない。でも唯一、母のためなら死ねる。母がいない世界で生きるなら死にたい。私が母に抱く気持ちは、間違いなく愛だと信じている。

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