Paule Thévenin, « Le Bouquet de violettes de Jean Paulhan » 私訳①

・はじめに
 IRIAMでバーチャル美少女受肉ライバーをやっております、七瀬川キラと申します。こんな記事を書いているので分かる通り、しがない人文系の大学院生です。月曜と週末に定期配信、たまにゲリラ配信もやっておりますので、ご興味の向きは遊びに来ていただけると嬉しいです。ゆる雑メイン。

 元々私は七瀬川キラの前についている「ツァッキ」という名義で同人の文筆活動をしてまして、文章を書くことがそこそこ好きなんですが、バーチャルライバーという立場を得てなお何かを書こう!となったときに、あんまり良い題材が思いつかず。自己紹介めいたものでも書くかなと思ったんですが、割と配信でしゃべっちゃってるし、私は自己紹介というものがそもそも苦手で書いても面白くないんですよね。
 なら、せっかく大学院生Vライバーということなので、未邦訳文献の邦訳を自分のフランス語の練習がてらnoteに書いてみようということで、やってみることにしました。私のフランス語のレベルは大して高くないですが、研究書程度ならゆ~っくり意味を取りつつ読める程度なので、ある程度訳せるのではないかと思います。一次文献より研究書読んでる方が楽しいんですよね。院生あるあるかもしれませんが。
 初回ということで、今回取り上げるのはポール・テヴナン『アントナン・アルトー、あなたに語るこの絶望せし者』(Paule Thévenin, Antonin Artaud, ce Désespéré qui vous parle, Seuil, 1991)より、「ジャン・ポーランのすみれの花束」(Le Bouquet de violettes de Jean Paulhan)という論文です。そもそもの話をすると、私は現在大学院でアントナン・アルトーという詩人を研究していて、今はゼミでアルトーと『ヌーヴェル・ルヴュ・フランセーズ』という雑誌の編集長だったジャック・リヴィエールという人が交わした書簡作品である「ジャック・リヴィエールとの往復書簡」を読んでいるのですが、先日神保町の洋書まつりで見つけたこの本の当該論文はリヴィエール書簡の背後でジャン・ポーランという文学者が『ヌーヴェル・ルヴュ・フランセーズ』やシュルレアリストたちといかにかかわりつつ、アルトーの作品を埋もれさせまいと努力したかについての文献学的な論文になっています。ちょうどリヴィエール書簡を読んでいるので勉強になるところも多く、楽しく読んでいます。著者のポール・テヴナンはアルトー研究の第一人者で、同じくアルトー研究者のカミーユ・デュムリエなどの先駆けですね。この論文の初出は1969年5月1日発行の『ヌーヴェル・ルヴュ・フランセーズ』とのことです。
 まとめて訳して全訳をアップしようかなとも思ったのですが、個人的に少しずつ訳していく方がリズムに合っているので、何分割かにしようと思います。フランス語で15頁あるかないか程度の短い論文なので、私が飽きなければ恐らく完走できるはず……。
 では、以下に訳です。

ポール・テヴナン「ジャン・ポーランのすみれの花束」 その1

 1946年にアントナン・アルトーは、彼の『全集』の開始を告げる「まえがき」において、のちになぜ自身が彼の最初の本を『全集』に象徴させるように表明したのかについて語っていた。その最初の本とは、『空の双六』だが、ジャック・リヴィエールによって『ヌーヴェル・ルヴュ・フランセーズ』に掲載することを以前拒否されたものに非常に似ているこの詩集は、アルトーがこのリヴィエールの拒否をどう認めていたのかを物語っている。

 ここにジャン・ポーランからの私が受け取った手紙の文書がある。編集次長であるポーランは、日付を1923年9月あたりとしている。
「拝啓、
 あなたの詩を受け取りました。これに私は非常な魅力を感じています。ジャック・リヴィエール氏にとっては、この魅力が確固としたもので、また十分に明らかなものではなかったのでしょうね。」

原注1:『全集』第一巻第一分冊、原書8頁。

 したがって、私たちは「ジャック・リヴィエールとの往復書簡」や、ジェニカ・アタナジウ(訳注:アルトーの恋人)への手紙によって、リヴィエール自身こそが1923年5月1日にアルトーに対して詩を出版することはできないと返答したことを知ることができる。
 上述のことにかんする間違った記憶(訳注:ガリマール版『全集』第一巻の校訂注ではリヴィエールの「1923年5月1日」の日付のサインが間違っていることが明らかになっている)――大してもっともらしいわけでもない間違った記憶――や、「往復書簡」をアルトーが読み返していたことが「まえがき」の一文に見出されることであることとか、まさに「往復書簡」がリヴィエールの拒絶の手紙とともに始まることとかを問題であるとするのはあまりにも簡単である。むしろ(真に)問題となるようにしなければならないのは、『全集』の第一巻において、リヴィエールの無理解を示す手紙がポーランが書いた手紙の文書に先行されており、ポーランの手紙に触れることがないまま、リヴィエールの手紙は雑誌の編集長との不和を示していることである。そのため、リヴィエールが「この詩を掲載できるかどうかについての問い」(原注2:『全集』第一巻第一分冊、原書24頁)の否定によって解決しようとして与えた痛手はすでに1923年のものであるが、雑誌の編集次長であったポーランの撤回によってこの痛手は埋め合わせられ、そしてこのポーランの撤回は、長く友好的で忠実な関心の序奏として与えられたのである。
 もしポーランが決してシュルレアリストのグループに属していなかったとしても、1919年からすでに、シュルレアリストたちが自らをシュルレアリストであると確言するよりずっと前からポーランはアンドレ・ブルトン、(ルイ・)アラゴン、フィリップ・スーポー、そして彼がシュルレアリストに引き入れた(ポール・)エリュアールと好ましい関係を保っていた。「ポーランの言うことは」、と、のちに当時を回想しながらブルトンは語っている。「そしてさらに、彼がほのめかすこと、時代を画すべく彼が並外れていた魂胆は、すべて僕たちに非常に近い時期のことだった」(原注3:アンドレ・ブルトン『シュルレアリスムを語る』(原題:Entretiens)、1952年、原書52頁)。しかしながら、1922年12月にマックス・エルンストが描いた『友人たちの集い』の絵画の中央に座っている人物は、ポーランではない。

Max Ernst : Au rendez-vous des amis

 したがって、リヴィエールが亡くなったためにポーランが『ヌーヴェル・ルヴュ・フランセーズ』の編集長となった際には、彼はブルトン、アラゴン、エリュアール、(ルネ・)クルヴェルのテクストを出版することに奔走した。そして、1925年の『冥府の臍』の出版は、まさにポーランの影響下にあったのである。『冥府の臍』は、シュルレアリスト・グループへのアルトーの加入の兆しがより明確に表れているし、「一般的に印象の十分な統一」(原注4:『全集』第一巻第一分冊、原書26頁)に達していないとアルトーを非難したリヴィエールが恐らく強く拒絶したであろうものである。2年ほど遅れて、まさにポーランは彼がその特異性とまったく不可逆な転回を見積もることなく「ジャック・リヴィエールとの往復書簡」の出版に踏み切り、「往復書簡」は掲載媒体に載ることになる。

 私はあなたの往復書簡を読むことが待ち遠しいです。(私はあなたを理解し、あなたについていこうと思っています。しかしながら、あなたが保管したいと思っているものについて私は自問自答しているのです――もしそれが単に生であるならば、それを存在であるとか、大気や水の単純な流れであると言いたいのですが――私はそういったものを読みたいと思っています。もしあなたが書簡のすべてを同時に変更することをお望みである事実を受け入れるなら、あなたは実際には何の変更も加えないことを自らに禁じているということに私には思えますし、あなたはどうしようもない絶望のうちに死んでしまうことを余儀なくされるのです。)

原注5:『全集』第一巻第二分冊、原書275頁。

 ポーランが問題にしている往復書簡は、ここではアルトーのプロジェクトだった。「現実的なものごとの危機的な状況についての往復書簡をヴィトラックとやり取りすること」(原注6:『全集』第一巻第二分冊、原書137頁)だが、1927年の2月に遡るポーランのこの応答において、私たちはリヴィエールによって惜しげもなく与えられる安らぎの文体や心理学的モラリストの論説とどんなにか隔たっていることだろうか。この名残に対して、私たちに伝わるポーランからアルトーへのいくつかの手紙において驚かせるもの、それはポーランとアルトーの真剣さであり、揺るぎなさなのである。
 1925年から1927年の初めまで、たった2年間しか時間は流れていないが、その2年は情熱と出来事によってぐったりと引き延ばされたのだった。引用するまでもなくその2年にかかわり、最も重大なこと、それは1925年の1月に、アルトーが「シュルレアリスム研究所」の監督に指名されたことである。同年5月に、アルトーはジェニカ・アタナジウとともに、アラゴンの「決断を迫る」(原題:Au pied du mur)をヴィユ・コロンビエ劇場に紹介していた。そして8月、アラゴンの決定のもと、『あなたの美しい瞳のために』(原題:Pour vos beaux yeux)のコレクションに「神経の秤」が収録される。また、1926年の9月から10月、アルトーはロジェ・ヴィトラックとロベール・アロンと一緒にアルフレッド・ジャリ劇場を設立した。そしてついに同年11月、アルトーはシュルレアリスト・グループから追放を受ける。この時期を通じて、ポーランはアルトーを助け支援し、定期的に『ヌーヴェル・ルヴュ・フランセーズ』にアルトーのテクストを掲載するばかりでなく(アルフレッド・ジャリ劇場第一宣言を含む)、彼にそういった支援が可能な人を知らせ、『ある地獄日記の断片』の概略を『コマース』誌に掲載できるよう行動していたのだった。1926年の間、失敗やシュルレアリストたちの正面衝突、結果的に引き起こされた支配力の闘争の宿命を引き受けさせられていた『ヌーヴェル・ルヴュ・フランセーズ』をシュルレアリストに出版するよう仕向けるための仲介者の役割にアルトーがあえて身を置いているときに、もしポーランとアルトーの間で軽い衝突が起こっていたなら、仲介者はあちこちに引きずり回され、立ち位置も難しくなり、アルトーにその場をなすがままにしてめちゃくちゃにしたくなる気持ちにもさせるばかりだっただろうが、この衝突は短いもので済んだ。そしてシュルレアリストたちが『白昼に』(原題:Au grand jour)でアルトーの除名を表明した際、彼は『真夜中に』(原題:A la grande nuit)でシュルレアリストたちに反駁し、ポーランは『ヌーヴェル・ルヴュ・フランセーズ』上でシュルレアリストたちにかんしてアルトーが彼らから罵倒の手紙を受け取り、ブルトンに対してアルトーの証人を立てることが必要であるとする略注を「ジャン・ゲリン」の署名で掲載している。この戦いは場所を持っていなかったが、ポーランがその場を彼にとって危険を背負いながら持っていたことはシュルレアリスムから拒絶され、追放されていたアルトーに深い感動を与えたし、この断絶はアルトーがそれを許さなかったこと以上の事実に達した。ポーランの態度はしかしながら、盲目の集団をうまくいかせるようなことにはならなかった。さて、ちょうどアルトーの追放の時期、『白昼に』の出版前にまで少しばかり遡ってみよう。

(その1 おわり)

★精読
 ここでは読んだ範囲の中で特に難しい文章を精読していこうと思います。今日はこちら。

S'il y eut entre eux, au cours de l'année 1926, un léger différend à un moment où Antonin Artaud se risqua au rôle d'intermédiaire pour amener les surréalistes à publier dans la Nouvelle Revue Française, entreprise vouée à l'échec, l'antinomie des parties en présence, la lutte d'influences qui s'ensuivit, ne pouvant que tirailler l'intermédiaire, le mettre en position difficile, lui donner envie de tout planter là, de tout briser, ce différend fut de courte durée.

Thévnin(1991), p. 34

 クラクラするような長い文章ですね。こういうときどこから訳していいか分からなくなりますが、要素ごとに区切っていきましょう。
 まず、文頭にSiがあるので、ここからSi節が形成されていると分かります。外国語を読むときの鉄則である「主述の確定」を行うと、Si節のあとの主節はce différend fut~であることが分かりますね。主節は「この対立は短い期間のものだった」程度の意味ですから、Siの従属節の内容を切り分けていきましょう。
 副詞句を囲っていくと、entre eux「彼らの間で」、au cours de~「1926年の間」がまず副詞句なので、ここは取っ払いましょう。骨子はIl y eut un léger différendです。「軽い対立があった」程度でしょうか。そのあとのà un moment oùはイディオムで「~のとき」なのでここから副詞節であることが分かりますね。注意すべきはentreprise~ですが、僕の読みではNouvelle Revue Françaiseにかかるentreprendreの過去分詞構文じゃないかな。vouer àで「~の宿命にある」とかなので、l'échec, l'antinomie, la lutteで同格。ne pouvant que以降は現在分詞構文ですが、ここの処理が難しい。多分三つの同格の名詞にかかるんじゃないかなという感じです。ne~queのニュアンスを出すのが厄介ですが、普通に肯定文で訳すとして、tirailler、mettre、donnerが同格。あとはイディオムや指示語を拾えば形になるでしょう。

 こんな感じで時間あるときにちまちまやっていきたいと思います。できれば11月中には終わらせたいけどちょっと厳しいかも。ゆるゆる年内完結目標でやっていきます。ではでは~。


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