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逃げても案外生きていけるものです

以前もnoteに投稿したことがあったかもしれないが、私の最も大きいストレッサーは家族だ。その中でも、父親とは特にわだかまりが大きく、おそらく一生許すことができない人であると思う。



一年前、なぜか機嫌が悪かった父に「俺は金ばっかり使うお前を一生許さない」と言われた。さらに「高校に入った瞬間、仮病まで使って休みやがって。」とも言われた。



数年前の話。必死に頑張った高校受験の末、私は偏差値70を超える県立高校の合格を勝ち取ることができた。しかし、高校1年生の夏に起立性調節障害と診断された。原因は生活習慣の乱れとストレスだった。授業についていくのも精一杯で、毎日2時間程度しか寝れずに学校に行っていた。だんだん笑うこともできなくなり、友達だと思っていた人たちが離れていった。一つ一つが積み重なって限界だったのだ。

その後、私は無理することをやめた。学校に行くのが億劫だったため、授業は進級・卒業が危うくなるくらい休んだ。集中力がなくなってしまったため、勉強も1日2時間程度しかやらなくなった。今思えば、若干自暴自棄になっていたんだと思う。小・中学生のときは優等生だった自分が、あんなに入学を望んでいた高校の授業にすら出ず、大好きだった勉強を嫌いになってしまったことに絶望した。優等生でなくなった自分には価値がないと思った。

そんな自暴自棄になっていた私にも、味方になってくれる人がいた。どんなに冷たくしても、反抗しても、優しく根気強く向き合ってくれた。その人のおかげで、するつもりがなかった大学受験に向き合うことができ、なんとか大学受験を終えた。

入学を選んだ大学は偏差値50付近の大学だった。高校受験と比較すると、偏差値は20以上下がったが、自分の中では満足だった。高校生活は順風満帆とはいかなかったが、人に自分の弱さを見せることができるようになったのは大きな成長だと思ったからだ。



そんな私の高校生活を、父はたった一言二言で全否定した。父は「誰よりも努力ができて、成績が良い娘」が自慢だったのだ。そのことは理解できる。なぜなら、誰よりも努力できることは私の唯一の取り柄で、自慢だったからだ。


努力できなくなったとき、誰よりも自分自身が絶望した。もう生きていけないとすら思った。


それでも、自分なりに成長した。大切な人たちを見つけられた。そう思っていたのに、それを否定されたことがただただ悲しかった。


「なんだこいつ!!」と心の中でだけでも反発できればよかったが、よわよわメンタルのせいで深く傷ついてしまった。そして、この言葉が呪いのように頭に張り付いたまま今も生きている。



しかし、高校時代に努力から逃げた私は、最近また努力をし始めている。以前と同じように、勉強が好きになったのだ。逃げたことで、完全に勉強嫌いになる前に踏みとどまることができたのだ。

大学2年生になってからは、父から逃げることで少しずつ自分を受け入れられるようになった。お金を使うこともそこまで怖くなくなったし、バイトに居場所を置くことで働く楽しさや貯金の楽しさも知った。



父から言われた言葉は、呪いの一言だった。恐らく、一生私を苦しめることになると思う。ときには自分を甘やかして、ときには自分を逃がして生きていこう。


逃げた先にもちゃんと道はあるって学んだでしょ?あなたが悩み抜いて選んだ道が間違いなんて絶対にありえない。あなたがあなた自身を認めてあげなければ、誰があなたを認めるの?そのままの姿で、堂々と生きて。



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