ファインダー越しの私の世界
勢いでうっかり始めてしまったnote100日連続更新だが、何とか7日目を迎えることができた。祝・1週間記念日。語彙力が足りない…、いや、それ以前に文章構成能力が…、いや、そもそもテーマもまともに思いつかない…歩いていたらテーマが降ってきたりしないだろうか…、と日々悩みに悩んで過ごしているが、まずは1週間続けることができてほっとしている。
7日間毎日noteを書いてみて、ふと思ったことがある。私にとってnoteで文章を書くことは、誰かにとってのカメラで写真を撮り、それを編集する行為に、書きあがったnoteは、仕上がった写真に似ているのではないか、ということだ。
私自身は普段、スマホでさえもほとんど写真を撮ったりしないのだが(写真を撮るまめさがないし、写真に写るのも苦手だから)、ひとが撮った写真を見るのはとても好きだ。その人が何を見たのか、どのように感じたのか、あるいはどのような時間を過ごしたのか、そんなことが伝わってくるから。
心惹かれるものをファインダー越しに見て、これだと思うアングルで、これだと感じるものにピントを合わせて写真に収める。露光量やコントラスト、彩度等を調整し、トリミングする(順序は違うかもしれないが、そこは見逃してほしい)。同じ場面でも、その場面を見て写真に収めた人のアングルや編集の仕方、切り取り方によって、その写真の見え方や意味合いは大きく変わってくるから、写真を撮り、それを加工する過程というのは、その写真を撮った人の見たこと、感じたこと、伝えたいことを非常によく表していると思うのだ。
書きたい対象を思い出しながら、どこまでをこのnoteで書く範囲とするか、どのアングルから書くか、どこにピントを合わせて、どの程度陰影をつけるか、柔らかな印象とすべきか、熱量が伝わるようにすべきか…。
私がnoteを書くときに考えていることだ。まだまだ至らないところばかりで、本当にそんなこと考えているのかよ、と突っ込みを受けてしまいそうだが、私なりに、noteのファインダー越しに、私の伝えたい角度で物事を捉えて、伝えたいことがより伝わるように細かなところを調整したりしている。
写真を見ると、それを撮ったときの光景や心境が鮮明に思い出される。ここに写真の価値があると私は思っているが、それを認識しているにもかかわらず、私は写真を撮らないし、撮ったとしても、自分が撮ったものはすぐに消去してしまう。だから、スマホのアルバムを開いても、陸上の記録会の動画くらいしか自分で撮ったものは残っていない。今後も、まめに写真を撮って、それを消さずに保存しておくことは、きっと私にはできないだろう。
しかし、noteは書ける。時が経ったとき、写真の代わりに今の自分が書いたnoteを読み返して、そのときに何をして、何を見て、何を感じて、何を考えていたのかを思い出せたらいい。そんなふうに思いながら、あと93日、noteを書いていこうと考えている。