愛と哀しみのクッキーモンスター
セサミストリート。
魅力的なキャラクターたちの宝庫だ。
いちばん好きなキャラクターは断然クッキーモンスター。
そう、あの青いもじゃもじゃの、クッキーが大好物のモンスター。
何故私はクッキーモンスターという存在に魅かれるのか、それを本日は論じていきたい。
ところであなたは「モンスター」という言葉にどのようなイメージを抱いているだろうか。
「力がある」「強い」「怖い」「野性的」……。さまざまなイメージがあり、基本的にどの要素も当てはまっている。
私が「モンスター」から特に連想するものは「哀しみ」である。
モンスターはたいてい強い力を持っている。モンスターがモンスターと呼ばれる所以である。
しかし、その強い力を人間の前で行使してしまうとたちまち人間たちから忌み嫌われる存在となり、「あのままアイツを生かしておくとヤバい。あのモンスターを倒そう」と討伐される対象として命を狙われる。
強い力を行使できないならばとそれをガマンしたところで力を持て余し、苦悩に苛まれることになる。どちらにしろ地獄の道なのだ。
この世に生まれ落ちたこと自体に哀しみを誘うもの、それが私の定義する「モンスター」である。
話をクッキーモンスターに戻そう。
改めて言うと彼の名前は「クッキーモンスター」である。
この稿に何度もその名前は出てくるじゃないか、今更何を言ってるんだと思ったそこのあなた、ちょっと待ってほしい。そもそもこれは「名前」と形容していいんだろうか?
他のキャラクターに目を向ければ「エルモ」「バート」「アーニー」などなどいかにも普通の「名前」っぽい名前だが、そうなると「クッキーモンスター」の異様さが浮かび上がってこないだろうか?(そういえば「ビッグバード」[直訳:でけえ鳥]という名前も大概であるような気がしてきたが、論旨がブレるので一旦ここでは目を瞑る)
クッキーをむさぼり食うモンスターだから「クッキーモンスター」。あまりにも安易で直接的なネーミングではないだろうか。いや、これはもはや名前ではなく“事象”である。
モンスターのことを指さして「モンスター」と呼ぶのはあまりにも工夫が無い。モンスターがいたとしても、それを別の表現で形容するから「名前」「名付け」の意義があるのではないだろうか。
そこは(おそらく)あえて承知の上での「クッキーモンスター」という直球勝負。
その潔い剛速球ぶりには頭がクラクラする。
モンスターは哀しい。
数多のモンスター達の中でもクッキーモンスターはとりわけ哀しい。
何故か。それは、彼が切に思い焦がれて求めているものは永遠に彼のものにならないからである。
彼は、永遠にクッキーを手に入れることが出来ない。
あなたはまた「ちょっと待て」と思っただろうか。クッキーをむさぼり食うからクッキーモンスターではなかったのではないかと。
私は哀しい。このようなクッキーモンスターへの無理解が、結果的に哀しみを増幅させていることをあなたは知らない。
どこかの機会でクッキーモンスターが出てくる動画を確認し、彼の口元をよ~く見てほしい。
彼は、クッキーを食べてはいない。
クッキーモンスターは、クッキーを粉砕しているだけである。
彼はきっと毎日クッキーのことを考えている。行動原理は全てクッキーに紐付けられている。
彼はモンスターなので、多少の傍若無人は許されている。だから、彼は彼の好きなタイミングでクッキーをむさぼり食べようとする。
しかし、彼は功を焦るあまりクッキーを粉砕してしまう。
彼自身持て余している強大なパワーの負荷に、小麦粉の集合体であるクッキーは耐えられない。
せっかくクッキーを噛み砕いても、彼の喉奥の空虚な暗闇はクッキーを何故か受け付けず、周囲に残骸を撒き散らすのみである。
あんなにクッキーを渇望しているのに、ひとかけらのクッキーでさえ彼の胃には到着しない。
名前に「クッキー」と入っているにもかかわらず、彼は一度もクッキーによって充たされたことがない。彼がクッキーを望んだ端から、無残にも口からはボロボロとクッキーが零れ落ちてゆく。
クッキーの無間地獄に囚われし亡者、永遠に充たされぬ者の象徴。それがクッキーモンスターの正体である。
クッキーモンスターはクッキーさえあれば幸せなモンスターだ。
それなのに彼に唯一の幸福を感じさせるものは、永遠に彼に幸せを与えない。何という悲劇なのだろう。
今度チョコチップクッキーを買ったらセサミストリートを覗いてみようか。
なるべく彼が寝ている時間を見計らってクッキーを差し入れしよう。
彼は紳士だ。もし彼が起きていたらダミ声で「ありがとう」とお礼を言い、クッキーを受け取って「食べる」アクションをすることだろう。
それをもし目の前で見せられたら、私は泣いてしまうかもしれないから。