霜降り明星はこのまま「爆笑問題ルート」を辿ってしまうのか?④
前回 ↓
さて、ここでとつぜん爆笑問題と霜降り明星以外の芸人を登場させる。
ランジャタイ国崎である。
2023年一番スゴかったテレビ番組
以前ほどの執着は薄れてきたものの、私は現役のテレビっ子である。テレビ大好き!
「テレビは昔より面白くなくなった」という言説をたまに聞く。それは半分正解で半分間違っている。
私から言わせれば「あなたに面白いテレビを見つける才能が無い」のである。
昔は面白いテレビの本数が多かったため遭遇しやすいという傾向が……いかんいかん、テレビについて語ろうとするとついつい話が脱線しそうになる。
2023年で一番ワクワクした番組の話をしたい。
それは「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」(2023/9/10 放送)の「ランジャタイ国崎 七変化」の回である。
「七変化」はガキ使メンバー・スタッフが笑いをガマンする状況のなか(笑ったら罰金1,000円)、挑戦者の芸人があの手この手を使って彼らを笑わせようとするガキ使屈指の名物企画だ。また「七変化」というだけあって七回分の趣向を凝らしたネタを用意しなければならない点が過酷である。
これにランジャタイ国崎が挑戦すると知った時は「こりゃあとんでもないことになるぞ…」と胸が高鳴った。
普段は録画視聴で済ませているガキ使を、放送開始までテレビの前で待機。
いざオンエアが始まると、予想を遙かに通り越した光景がそこには広がっていた。
私がテレビで見たかったのは、これだった。
「昔のテレビって面白かったよね」と言われるような要素が全部詰まっていた。
もちろん国崎氏は「昔のテレビ」の面白さを再現しようとしたわけではなく、彼がいま面白いと思うことをフルパワーでやりきったら結果的にそうなったという話である。
体を張った過激なパフォーマンスが目立ったため、そのことに眉をひそめる視聴者もいたかもしれないが、あれは体を張ることだけに重きを置いた「思考停止」の行動ではない。一人の才能ある芸人がどうやったら憧れの人(=ダウンタウン)を笑わせることができるかを徹底的に考え抜き、彼が持てる限りの全ての力を注ぎこんだがゆえの「全財産をクレカ支払いで使い果たす(未遂)」であり、「眉毛・頭髪バリカン剃り」である。
結局視聴者というのは「この世ならざるもの」が見たい生き物なのだ。国崎氏は数々の「この世ならざるもの」を披露し、我々の願望を叶えてくれた。
寿司ネタとシャリに挟まれると意味深なメッセージを発する寿司職人。
東京タワーのてっぺんに収納された三角形の脳みそ(発光している)に吸い寄せられるように群がる4匹の渡辺いっけい(なぜ“匹”かは本編を見れば分かる)。
a-ha “Take On Me”の軽快なビートにのって踊りながら“異形”の眉間にある第三の目(チャクラ)にアンコを塗りたくる老婆とそれを拭き取る老婆。
国崎氏の頭の中の世界を放出した七つの摩訶不思議なネタが十全に展開され、異様な世界観ながらもそれは決して独りよがりではなく、笑いの地平線において普遍的な価値を獲得していた。面白かった。
のちに国崎氏の芸能人生を振り返ったとき、この「七変化」はベストアクトの一つとして数えられるに違いない。
下記の記事によると、国崎氏が描きたい笑いを実現させるためにガキ使制作陣は1,000万円ほどのお金をかけてくれたという。
不遜な言い方になるけども、この事実を知ったとき「テレビもまだまだ捨てたもんじゃないな…」と思った。
ギラギラに脂がのっている芸人がいて、その者が生み出す法外なネタにふさわしいだけの予算をかけることが出来れば、まだまだテレビは面白さで人の心を打つものが作れるのだ、と。
そして同時に、私という人間がテレビで見たいものを知ることができた。
要するに私は「金がかかった作り物の笑い」をテレビで見たい。
もっと言えば、「霜降り明星による、金がかかった作り物の笑い」をぜひ見たいのだ。
それを一回実現させている時点で、私の中では霜降り明星よりランジャタイ国崎の方が一歩、十歩、いや百歩くらいリードしている。
「金がかかった作り物の笑い」に必要なもの
「作り物」というのは、この記事では自然体な笑いではなく、その芸人にしかない、笑いの思想が色濃く反映されている出し物、という意味合いで使用する。
初期の「新しいカギ」のコントはそれなりに金がかかっているようであったが、そこには霜降り明星の笑いのカラーを見出すことができない。
「霜降りバラエティX」「しもふりチューブ」では霜降り明星のプレイヤーとしての面白さを堪能することはできるが、それはあくまでも日常の延長線上での自然体なふるまいであり、なおかつ低予算である。
「あ~、やっぱりテレビっていいよな…」と息を洩らすような、かつてのキラ星のごとくの「冠番組」たちを思い浮かべたとき、たいていは「金がかかった作り物の笑い」の条件を満たしている。
霜降り明星はあれだけの才能を抱えているにもかかわらず、その条件を満たす番組を未だに持てていない。これは一種の損失である。
本シリーズで私は好き勝手ばかり書いており、それを更に重ねてしまうのだが、霜降り明星に落ち度がないと仮定すると、彼らを新たな地平に引き上げてくれるスタッフが周りにいないのではないかと勘繰ってしまう。
一世風靡した番組を持つ芸人の傍らには、必ずキーマンがいた。
とんねるずには秋元康、石田弘がいた。
→「みなさんのおかげです」
ダウンタウンには菅賢治(ガースー)、斉藤敏豪(ヘイポー)がいた。
→「ガキの使いやあらへんで!」
ナインティナインには片岡飛鳥がいた。
→「めちゃ×2イケてるッ!」
芸人と、その才能に拮抗するくらいの有能なスタッフが揃ったとき、「金がかかった作り物の笑い」への挑戦権を獲得できる。
爆笑問題には「第3のメンバー」とも呼ばれる傑物・太田光代がいる。彼女は芸能事務所の社長として芸能界における爆笑問題の地位向上への貢献は達成したが、代表作となる冠番組を彼らに持たせることが出来たかという面ではいささか手に余る領域だったかと思われる。
ただ、霜降り明星を取り囲むスタッフ達も、霜降り明星自身が目をかけているのだからきっと優秀なのだろうと推測できるし、「しもふりチューブ」においてもチーム霜降りの結束感やそういった仲間意識についてはつねづね(食傷気味に)語られている。
しかし俯瞰から見たとき、代表作となる番組を持つ・持たせるという働きにおいては現在のスタッフ達は有効に機能していないと私は判断する。
もしくは「引き上げる」力のあるスタッフに霜降り明星がまだ出会えていないのかもしれない。
ソロチャンネル分析
霜降り明星の笑いのカラーと言えば、「しもふりチューブ」ではなく互いにソロでやっているチャンネルの方が、彼らの笑いの思想が色濃く反映された内容が多い気がする。
「粗品 Official Channel」は驚異の毎日投稿。それでいてどの動画もクオリティが高い。「しもふりチューブ」に続いて単独のチャンネルでも登録者数が200万人を突破し、粗品の自己プロデュース能力の高さには舌を巻く。
「生涯収支マイナス〇億円君(ギャンブルネタ)」「1人賛否(時事ネタ)」などの人気企画の他、粗品単独ライブ「電池の切れかけた蟹」での一幕(フリップネタ、トークコーナーなど)もある。おそらく自身の戦略とは言え現在は炎上気味の姿が悪目立ちして見えるが、笑いに対しては本当にどこまでも真摯な青年なのだと思う。
相方のせいやは「イニミニチャンネル」の初期に一つのモノだけで永遠にモノボケをする「無限芸」という地獄(誉め言葉)のような企画を敢行しており、個人チャンネルって本来ゆるいことをやっても許される場である筈なのに、あそこまでストイックな笑いを追求した芸人を私は他に知らない。やはりどこか狂っている(誉め言葉)。
ただ、どちらも笑いの性質としてはやはり「個人の規模」で出来るものがほとんどであり(粗品の方はたまに大掛かりなものはあるが)、そこが惜しい。
そしてこの二人がせっかくタッグを組んでいる「しもふりチューブ」で自然体の笑いが多めなのは、(別にそれでもいいっちゃいいのだが)私はもったいないと感じてしまう。
元雨上がり決死隊・宮迫の炎上発言の真意
こんなnoteを書いていたら、タイムリーに元雨上がり決死隊・宮迫氏炎上のニュースが飛び込んできた。
最近はやや雑な感じで粗品から「おもんない」とディスられている宮迫氏。それを受けてか、最近行われたYouTuber・ヒカルのバースデーイベントで
「テレビに出てた時の俺を超えてから言え!」
「お前、『アメトーーク』みたいな番組、作ったけ?」
と発言。物議をかもしている。
同業者のナイナイ岡村氏はオールナイトニッポンでその話題を取り上げ、「『アメトーーク!』という番組はもちろんあるが、作ったのはプロデューサーの加地倫三でもある」という旨のコメントをし、宮迫氏をたしなめている。
宮迫氏の言いぐさははっきり言ってダサいというか、お笑いの先輩として大人げなさすぎるのではないかと思うし、プロレスにも昇華できていない時点で言語道断という気もするが、「アメトーーク!」という番組自体に罪は無く、それが「お笑い史に残る番組」として今後も評価されるべきなのは確かに間違いない。
奇しくもこのニュースは、私が今まで述べてきたことを2点証明する結果となっている。
一つは、「お笑い史に残る番組」を作るためには有能なスタッフ(宮迫氏にとっての加地倫三氏のような存在)が必要ということ。
もう一つは、粗品はまだ「お笑い史に残る番組」を手掛けることが出来ていない、という認識がこの世にはあるということである。
都落ち感は否めないものの、宮迫氏もかつてのテレビのスタープレイヤーである。「これを言えばウケる(共感を得ることができる)」という嗅覚はまだ衰えていない筈であり、客前でまるっきり無根拠なことを言い切るとは思えない。
その自信が、彼に「お前、『アメトーーク』みたいな番組、作ったけ?」と言わせたのではないだろうか。おそらくこのような物言いが多分なリスクを含むことは承知の上で、それでも「言ってしまえ」と思わせるなんらかの確信があった。
それはつまり、世の人々がうすうす思っていることを宮迫氏が代弁したとも言えるのである。
宮迫氏の発言は褒められたものではないが、「粗品にとって代表作と呼べるテレビ番組が無い」という主張は、私としてはムゲには出来ない。
もう霜降りも30代
そうこうしている内にいつの間にか霜降り明星の二人は30代に突入していた。
ふと思いつくところだと、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ナインティナインなどのお笑いスターは20代のうちに代表的な冠番組を手に入れている。
完全に余計なお世話なのだが、霜降り明星がそうならなかったことに対して部外者のトーシロである私はなんだか焦りを感じてしまっている。
とは言え、同じお笑いスターでも20代で間に合わなかったコンビがいる。
言うまでもなく、爆笑問題である。
「天下を獲りたい」?
粗品は時おり「天下を獲りたい」旨の発言をしておりそれはそれでたのもしいのだが、彼の歩んでいる道を見る限りでは、本当にそこに向かっているのかがはなはだ疑問である。
確実に「天下を獲った」と言い切るためには、結局は「金がかかった作り物の笑い」を披露できる冠番組を手に入れるのが手っ取り早いのだ。
別にテレビに限らなくたっていい。YouTubeでもネット配信でも他の媒体でもなんでもいいから、かつての伝説の番組たちに負けないくらいのデカい規模の人気番組が一発あれば、私のようにゴチャゴチャもの申す外野は一気に沈静化する。
少なくとも、宮迫氏は前出のような発言をしなくなるであろう。
おわりに
今回のテーマではいろいろ考えた。
他に原因を求めるとすれば、要するにテレビが元気のない時代に霜降り明星が生まれてしまったということだろう。
単純に不景気なのである。
昨今はだいぶ予算削減が進んでいるようで、大規模な予算がかかる企画・番組は容易に実現しない。金をいくらでもかけてもいいという状況にはまず巡り合えない。
もしあったとしても何回もチャンスがあるわけではない。
そういった意味においては、この時代における霜降り明星(と観客)は不幸である。
私は今回勝手に霜降り明星の現況に杞憂を抱き、お笑い好きのトーシロとして好き勝手に書き殴ってきた。
繰り返しにはなるが、そんな私を黙らせるには、一刻も早く「金がかかった作り物の笑い」をテレビで見せることである。
たとえ「笑いを何もわかってないトーシロ風情は外野でゴチャゴチャ言ってないでこれでも見てろハゲタコ」とめちゃくちゃ下に見られてもいい。
私は喜んでそれを見る。
「爆笑問題ルート」に行く手前のギリギリのところで分岐した「霜降り明星ルート」を、どうか私に見せてほしいのだ。
[補足]
・せいやもガキ使の「七変化」に挑戦し、当時で歴代4位(53,000円)の好成績を残している(2019/9/15 放送)。狂気に満ちあふれた熱演は素晴らしいが、笑いの好みではやはりランジャタイ国崎の方に軍配が上がる。粗品も各所でボーボー燃えさかってないでこの恐怖のストロングお笑い企画に挑戦し、初心を取り戻してほしい。