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続3部作とは何だったのか(4)

2015年、スターウォーズ エピソード7が公開された。

私は恐る恐る見に行った。

(1)~(3)まで読んでくださった方なら分かると思うが、続編制作には、かなりの制約が伴うことを知っていたからだ。

本編が始まった。

その冒頭部分から、私の中に疑問符が浮かんだ。

反乱軍と帝国軍の戦い、すなわち、父と子の和解から30年も経っているというのに、帝国軍の残党が存在し、それに対抗するのが、レジスタンスだと言うのだ。

30年という長い歳月・・・銀河は何をやっていたのだろう?

30年というと、アナキンが旅立ってから、息子のルークが旅立つまでの時間に等しい。

その間、何の進展も無かったというのだろうか?

そんな不穏極まりない状況の中で、ルークが行方不明だと言う。

全く意味が分からない。

彼の行方を捜す、エースパイロットのポーが、一番最初に登場する人物だが、ポーは、EP7において、一度も主人公に出会うことがない。

にも関わらず、ポーは主要キャラとして活躍するのだ。

悪役は、カイロ・レンという、ダースベイダーのコスプレをした人物だ。

レイアとハン・ソロの息子で、アナキンの孫に当たる人物だと言う。

祖父に憧れていると言う。

全く意味が分からない。

父と子の和解、そして善でも悪でもない・・・という結論は、どこに行ったのだろうか。

レイという女性が、今回の三部作の主人公だと言う。

出自は不明という設定。

なぜ、こんなことをする必要があるのだろうか?

(1)~(3)を読んだ人は分かると思うが、家族の物語である以上、続三部作の主人公は、ルークの子、もしくは孫でなければならない。

それ以外に、EP7を成立させる要素は無いのだ。

彼女が、ルークと関係のない、赤の他人なのであれば、それは「レイ三部作エピソード1」でなければならない。

理由は簡単だ。

EP1~EP6までが、アナキンとルークの物語だったからだ。

ここにEP7を付け足すのであれば、それはルークの子か孫であり、アナキンの孫か曾孫でなければならない。

(1)~(3)までを読んだ人なら、EP1とEP2の間隔が10年で、EP3とEP4の間隔が19年であった理由を理解してくれていると思う。

その理論で行けば、EP7がEP6の30年後でなければならない理由は、ルークの子、もしくは孫の旅立ちが有るから・・・という設定以外に、物語を成立させるモノはないのだ。

しかし、ディズニーのEP7は、レイを出自不明としていた。

全く意味が分からない。

ルークの場合は、出自不明ではない。

父親はジェダイだったと、EP4「新たなる希望」で語られている。

ダースベイダーが父親だ・・・という事実だけ、伏せられていたが、当時の観客は、そんなことなど知る由もない。

だからこそ、EP5「帝国の逆襲」で観客は驚いたのだ。

EP4から公開された事も一因だろう。

EP1から順番に見て行けば、ルークがアナキンの子という事実は、何の驚きにもならない。

ジョージ・ルーカス(以下、ジョージ)が、観客を驚かせようと考えていたのは間違いないと思うが、そうだとしても、最初から、謎要素にしていたわけではない。

しかし、EP7は違う。

EP1~EP6までの物語は、既に語られている。

ここで謎要素など、全く以て不要なのだ。

必要なのは、父と子の和解のあと、家族(ルークの子、孫)はどうなったか。

ルークは、父あるいは祖父となって、何を経験するか、あるいは経験したか・・・。

これらの要素が必要なのだ。

ディズニーの語った「血統からの脱却」の意味も全く理解できなかった。

血統からの脱却など容易な事だ。

レイ三部作エピソード1にすれば良いだけのことなのだ。

これなら、いくらでも後日譚を紡ぐ事ができる。

スカイウォーカー家と関係のない人物の話にするのなら、その方法しか有り得ない。

問題は、EP7(第七話)にしてしまった事なのだ。

EP6における、父と子の和解から、何が導き出されたのか・・・

善でも悪でもない、ジェダイでもシスでもない、愛こそが大切なのだ・・・という結論から、何が導き出され、30年後、何が起こったのか・・・。

物語は、そこから始まらなければならない。

くどいようだが、そうでなければ、EP7である必要性がないのだ。

ただの後日譚となり、ルークの存在は無意味となるのだ。

そして、結論から言えば、ディズニーのEP7~EP9は、ただの後日譚となってしまった。

レイ三部作EP1~EP3と言っても過言ではない。

いや、ただの後日譚以上の改悪もおこなわれてしまった。

EP8において、無意味な存在と化したルークは、適当に扱われた。

理由は簡単だ。

赤の他人の物語となったからだ。

逆に、EP4~EP6では、物語の主軸とはならなかった、妹のレイアの方が、大活躍をする始末。

EP7では、息子による父殺しもおこなわれた。

父と子の和解から30年。

善と悪を越えた、家族の愛から30年。

ディズニーが付きつけたのは、息子による親殺しだった。

レイが主人公である理由も動機も不鮮明。

ルークには、父がジェダイだったという憧憬があった。

だからこそ、彼は反乱軍に入り、ジェダイを目指すのだ。

レイには、家族というものが存在しない。

そのため、彼女が戦い、冒険する動機が希薄なのだ。

分かりやすく言えば、命を懸ける理由が見当たらないのだ。

そんな彼女を主軸に物語が進むのかと思えば、EP8では、彼女以外の主要キャラがバラバラに物語を進行させ、バラバラなまま、何の化学反応もおこさない始末。

エースパイロットのポーと主人公のレイにいたっては、EP8のラストシーンで「初めまして」という、連作映画の歴史で初の快挙(愚挙かもしれない)を成し遂げた。

簡単に言えば、主人公にとって、ポーという男は、居ても居なくても良い存在という事なのだが、そんなポーも、EP9まで、ちゃんと主要キャラとして活躍する。

そして、支離滅裂で厚顔無恥の巧言令色な守銭奴は、EP1~EP6までの物語を大いに破綻させ、無価値で無意味なモノとしてしまった。

EP9における、皇帝の復活だ。

アナキンの犠牲は無駄となり、父と子で成し遂げた事は無価値となったのだ。

愛など、所詮、絵空事に過ぎなかった。

必要なのは「力」であり「金」であり「富」だったのだ。

皇帝が復活した。

それを食い止めるのは、レイ。

ここで唐突に、レイが皇帝の孫だと明かされる。

EP9、すなわち最終話で、レイの出自が明らかとなるのだ。

そして、レイ(という名のディズニー)は、アナキンとルークを否定する。

レイは、歴代のジェダイの力を得て、皇帝を殺害する。

孫による祖父殺しがおこなわれたのだ。

大義の為なら、親でも、家族でも殺さなければならない・・・。

そう、ルークとアナキンが否定した、ジェダイの掟に従って。

西洋的価値観が勝利した瞬間だった。

東洋的価値観、中庸など無意味。

善が勝ち、悪は滅びなければならない。

ジェダイは正しかったのだ。

アナキンとルークは異端者だったのだ。

異端のルークが、醜い老いぼれになるのは、当然の報いだったのだ。

悪は徹底的に潰さなければならないのだ。

悪とは、ディズニーが「悪と決めた者たち」のことを言う。

その理論で行けば、私は悪になるだろう。

ラストシーンにも触れておこうと思う。

ルークとアナキンを否定した、レイが、ラストで、スカイウォーカーを名乗る。

「私の名前は、レイ・スカイウォーカー」

何という皮肉だろう。

ディズニーによる、スターウォーズ乗っ取り宣言で、物語は終幕するのだ。

EP7~EP9は、完全なる否定の物語だ。

そしてそれは、EP7~EP9である必要性がない。

であるにも関わらず、なぜこれをEP7~EP9としたのか・・・。

結局、ディズニーによる異端裁判だったのだろう。

この裁判を無罪で通過できた者だけが、ディズニー帝国の市民権を獲得できるのだ。

それ以外の者は、悪であり、滅ぼすべき対象なのだ。

そして、アナキンとルークは、異端者として滅ぼされたのだ。




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