日本史人物伝 No.185~187
No.185 井上並古
?~1798(寛政10)5月25日
読み:いのうえ・なみふる
姓:吉田(よしだ)→井上(いのうえ)
諱:並古(なみふる)
通称:主水左衛門(もんどざえもん)
号:有淵(ゆうえん)
生別:男
出身地:豊後国(ぶんご・のくに:今の大分県)岡
豊後国、岡藩藩士。藩政改革をおこなった。
No.186 吉田尚賢
生没年不詳
読み:よしだ・なおかた
姓:吉田(よしだ)
諱:尚賢(なおかた)
通称:八郎左衛門(はちろうざえもん)
性別:男
出身地:豊後国、岡
豊後国岡藩藩士。井上並古の実父。
No.187 井上並増
1798(寛政10)以前~1825(文政8)以降
読み:いのうえ・なみます
姓:井上(いのうえ)
諱:並増(なみます)
通称:不明、主水左衛門?
性別:男
出身地:豊後国、岡
豊後国岡藩藩士。一代家老となった。
井上並古の生涯
並古は岡藩士、吉田八郎左衛門尚賢の次男として生まれた。
のちに井上家の養子となる。
第8代藩主:中川久貞(なかがわ・ひささだ)のもと、銀奉行に起用され、以後、藩の要職につき、藩政改革の中心人物となって活躍した。
「安永七年之御掟書」で法制整備をおこない、農民救済制度として「助合米制」で米の貸与、「預牛制」で農耕牛の貸与を実施した。
特に農民救済策は、農民や識者から高い評価を受け、人心を集めたという。
これらの改革は「安永の改革」と呼ばれる。
1771(明和8)には藩札発行による藩財政の立て直しをはかった。
また、由学館(ゆうがくかん)や経武館(けいぶかん)、博済館(はくさいかん)など藩校の創設も行ない、文治教育の普及に尽力し、相次ぐ災害で苦しむ領民に対しては、窮民養成所を創設した。
その後、三宅山(みやけやま)山麓の開拓にも尽力した。
これらの功績を認められ、一代家老の栄誉を賜っている。
息子の井上並増(いのうえ・なみます)も1825(文政8)に一代家老となっている。