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想像力の欠如

まず最初に伝えたい事があります。

鬼滅の刃に否定的な内容となっております。

ファンの方は、読まない事をオススメします。

では、本編に入りたいと思います。

映画の興行ランキングで「千と千尋の神隠し」を越え、一位となった「鬼滅の刃」。

世代を越えて人気となった理由を探ろうと、私も観る事にしました。

漫画「ワンピース」の時も、同じ動機で読み始めたので、きっと面白いのだろうと、期待していました。

結果から申しますと、涙が出そうになりました。

感動の涙ではありません。

悲しみの涙です。

今の日本人は、想像力が欠如しているようです。

想像力が無いと、相手を慮る事ができません。

慮る事ができないと、思いやりや譲り合いの精神は廃れていきます。

大陸的な感性に染まりつつあると、言っても良いかもしれません。

物語の内容に触れながら、語っていきたいと思います。

主人公の名は、竈門炭治郎(かまど たんじろう)。

13歳の男の子です。

父を早くに亡くし、母と共に、妹や弟を養う毎日。

山の中の一軒家で暮らしています。

炭を売って、生計を立てていました。

麓にある里まで下山して、これを売り歩くのです。

時には、里人から手伝いを頼まれる事もありました。

そんなある日の事。

いつもより、帰りが遅くなってしまった炭治郎。

急いで、山に入ろうとしますが、ここで、里のおじいさんが、忠告してきました。

「夜は鬼が出てくる。鬼は人を食う。時には、家に侵入して襲ってくる。今日は、里で泊まっていくといい。」

炭治郎は、おじいさんの忠告に従い、里で一泊する事にしました。

ここまで読んで、違和感に気付きましたでしょうか?

物語の世界では、鬼が出てくるようです。

そんな世界で、母親と子供だけの家族が、山の中で、ポツンと一軒家。

怖くないのでしょうか?

読者が、おじいさんの忠告を聞く時は、初耳ですから「そうなんだ」くらいの受け止め方でいいのですが、物語世界の住人にとっては、周知の事実のはずです。

主人公は、その日まで知らなかったようですが、主人公の母親や、その他の里人は知っているはずです。

里のおじいさんが、知っているのですから。

里に移住した方がいいと、忠告する人はいなかったのでしょうか?

母親が、頑なに断っていたのでしょうか?

熊のように、滅多に襲ってこないから、大丈夫と考えていたのでしょうか?

しかし、熊は、食べ物に困ったり、人が危害を加えようとして来ない限り、人を襲う事はありません。

基本的には、人を恐れる生き物です。

一方、この物語では、鬼は、人を食う生き物とされています。

人だけを食べる生き物です。

人を恐れぬ生き物なのです。

熊に襲われるよりも、確率が高くなるはずですが・・・。

さて、翌日、自宅に戻った主人公は、凄惨な状況を目撃する事になります。

家族が、鬼によって、惨殺されていたのです。

ここで、新たな違和感に襲われます。

鬼は人を食うと言っていたのに、家族は殺害されただけで、食べられた形跡がないのです。

子供向けだから・・・と、最初は思いましたが、それなら、何も見せないとか、影だけで表現するとか、いろいろ手はあったと思います。

そんな不思議な展開のあと、妹だけが生き残っていた事が判明します。

どうして生き残ったのか、詳しい描写がないので、不明です。

しかし、妹は、鬼に噛まれていたため、理性を失い、凶暴化していました。

主人公に襲いかかる妹。

そこに、鬼殺隊(きさつたい)と呼ばれる、鬼を討伐する専門部隊の青年が現れます。

青年は、妹を討つと言いますが、主人公は助命を願います。

理性を失ったとはいえ、妹は、唯一生き残った肉親です。

すると、妹も、兄である主人公を庇う仕草を見せました。

そこに、何らかの可能性を見出した青年は、鱗滝(うろこだき)という人物の元に行けば、人に戻る方法がわかるかもしれないと語ります。

その言葉を信じて、妹が暴れないようにした上で、主人公は、鱗滝という人物の元に向かうのでした。

ここで、主人公も、物語の住人ではない感じがしてきます。

私が主人公なら、
どうして母さんは、こんな危険な山で暮らしてたんだ? 
里の人たちは、どうして、もっと早く教えてくれなかったんだ? 
おじいさんが教えてくれた翌日に、こんな事になるなんて、できすぎてないか? 
もしかして、おじいさんも鬼の仲間?
いや、でも、僕を助けてくれたわけだから、それはないのかな? 
それに、鬼殺隊とかいう人は、どうして、今ごろ出て来たんだ? 
家族が襲われている時に出て来てほしかった
それに、人に戻る方法がわかるかもって事は、わからない可能性もあるんだよな
わからなかった場合、妹はどうなるんだ?
僕はどうすればいいんだ?
と考えると思います。

しかし、主人公は、そんな疑問を抱く事なく、言われた通りに、鱗滝なる人物の元へ・・・。

そこで、いきなり、鬼との戦いに巻き込まれます。

トドメをさせと言う鱗滝氏に、主人公は、そんな事は出来ないと返します。

この子は優しすぎる・・・と感じる鱗滝氏。

意味がわかりません。

優しいは関係なく、誰だって、そんな反応になると思います。

主人公は、鬼を殺しに来たわけではないのです。

妹が助かる方法を教えてもらおうと、やって来ているのです。

すると、鱗滝氏は、山に入って、試験に合格すれば、認めてやると語り始めます。

認める?

何を?

妹が助かる方法は?

何の疑問も挟まず、承諾する主人公。

見事、命がけの試験に合格します。

そこで、鱗滝氏が語った内容は、助ける方法は、わからない・・・でした。

試験は、なんのためだったの?

更に続けて、こう語ります。

鬼殺隊に入れば、何か、わかるかもしれない・・・。

二回目の「かもしれない」です。

鬼殺隊に入隊させる気満々です。

鬼殺隊には、鬼の生態を研究する部署が有るのかと思いきや、そんなものは存在しませんでした。

鬼と接する機会が多いから・・・というのが、鱗滝氏の見解です。

なんとも頼りない、師匠枠のキャラクターですね。

しかし、主人公は「そうじゃないかもしれない」という疑念を挟む事なく、鬼を狩って狩って狩りまくります。

妹を人に戻す気があるのでしょうか?

遠回りしているような気がするのですが・・・。

こんな感じで、違和感満載のまま話が進んでいきます。

別に、こんな物語があってもいいと思いますし、全く面白くないわけでもありません。

ただ、稚拙なプロットやキャラクター描写にもかかわらず、我が国の映画史を塗り替えるほどのヒット作になった事が、解せないのです。

本当に、これが最高傑作だと、多くの日本人は思っているのでしょうか?

もし、そう思っているのだとしたら、人を慮る事ができなくなっているの「かもしれません」ね。

これからは「おもてなし」「おもいやり」も、文字ヅラだけの中身の無い、スッカラカンになっていくの「かもしれません」ね。

いろいろ考えさせられ、悲しくなったのでした。

興味を持たれた方は、一度、読んでみては如何でしょうか?

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