続3部作とは何だったのか(3)
エピソード4(以下、EP4。他作品も同様)から、息子のルークの物語となる。
ルークは父と同じようにジェダイになろうと努力する。
このとき、師であるオビワンもヨーダも、やはり、アナキンを救おうとはしない。
皇帝(もとの元老院議長)とダースベイダーを倒せと唆してくる。
言い換えれば、息子に父親を殺せと言っているのだ。
正義や大義の為ならば、父親でも殺さなければならない。
それが出来て、ようやくジェダイになれるのだと、彼らは語る。
しかし、ルークはこれを拒否する。
「父さんには、善の心が残っている。」
そう言って、説得に向かうのだ。
一方、皇帝は、ダースベイダーを怒りや憎しみの力で倒せと唆してくる。
そして、新たな弟子となれ・・・と誘ってくる。
ここで、おかしな状況が発生していることに気付く。
善であるはずのジェダイたちも、シスという反対の教義である皇帝も、同じように父親を殺せと言っているのだ。
父親を殺すことで、ジェダイにも、シスにもなれるのだ。
正義(彼らの言う)の為に殺せば、ジェダイ。
憎しみで殺せば、シス。
戦いを拒むルークだったが、ついに決闘が始まってしまう。
この始まりのシーンは、特に重要なシーンだ。
ルークは、ジェダイとして、大義の為に剣を抜くのではない。
ましてや、シスとして憎しみで抜くわけでもない。
彼が剣を抜くきっかけは、ダースベイダーの一言だった。
ダースベイダーは、戦いを避けて、身を隠すルークを探す中、ルークの心をフォースで感じ取る。
「そうか・・・妹がいるのか・・・。おまえが、暗黒面に落ちないのなら、妹を引きずり込もう。」
この一言で、ルークは剣を抜く。
大義の為でも、憎しみからでもない。
妹を守ろうとして、剣を抜くのだ。
激しい連続攻撃を浴びせ、ダースベイダーの右手を切り落とすルーク。
そのとき、目に飛び込んできたのは、機械の手となった、父親の右手だった。
EP5「帝国の逆襲」で、ルークも、父親に右手を斬られ、機械の手となっている。
ここでルークは、我に返る。
EP5での、父の想いを感じ取ったのだ。
剣を失い、抵抗できなくなったルークに、トドメを刺さなかった父。
息子を殺すことができなかった父。
そして、ルークに言った言葉。
「父と子で、皇帝を倒し、共に銀河を支配しよう。」
皇帝は、ダースベイダーを見限り、ルークに父を殺させ、新たな弟子にしようと目論んでいる。
ダースベイダーの立場で考えれば、受け入れがたい話だ。
自分が生き残るには、ルークを殺すほかない。
しかし、ダースベイダーはルークを殺さなかった。
いや、殺せなかったのかもしれない。
映画は、そこまで踏み込んだ描写をしていない。
鑑賞者の想像に任せている。
もしかすると、EP6の決闘ですら、ダースベイダーは、手を抜いているのかもしれない。
ルークに討たれることを前提として・・・。
息子を生かすために・・・。
そういった様々な可能性を、ルークが自身の右手と、父親の右手を交互に見るシーンで描いている。
そして、ルークは、剣を放り投げると、こう言い放った。
「僕はジェダイだ。かつて父さんが、そうだったように・・・。」
落胆した皇帝は、手から破壊光線を繰り出し、ルークを苦しめる。
じっと見つめる、ダースベイダー。
ルークは叫び続ける。
「助けて、父さん! 助けて!」
その声を聞き、ダースベイダー(アナキン)が動く。
皇帝を持ち上げ、奈落の底に突き落としたのだ。
父と子は、ジェダイでも、シスでもない答えを導き出した。
それは、愛。
善や悪ではない、別の答え。
フォースにバランスがもたらされたのだ。
善と悪は表裏一体。
陰と陽の関係性。
どちらに傾いても、ダメだと、EP6は語る。
中庸こそが重要なのだと・・・。
西洋的価値観から脱却し、東洋的価値観を確立させた瞬間なのだ。
その根本となるものは、愛なのだと・・・。
オビワンやヨーダの言葉を借りれば、ルークはジェダイではない。
皇帝の言葉を借りれば、ルークはシスではない。
それは、アナキンにも同じことが言えるだろう。
崩壊する要塞から脱出しようとするルーク。
ルークは父に語る。
「次は、僕が父さんを救う。」
この言葉に、父親のアナキンは、こう返す。
「その必要はない。もう、救ってくれた。」
アナキンは、子供たちを愛していたと呟き、息を引き取るのだった。
残されたルークは、ジェダイでもない、シスでもない存在となった。
呼称はジェダイかもしれないが、かつてのジェダイとは全く異なる存在となったのだ。
ここで、物語は終わる。
この物語に、続編・・・。
ディズニーは正気か?
嫌な予感は、現実のものとなる。