![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147132324/rectangle_large_type_2_0a4a1e146ab2ca8666803942776768de.png?width=1200)
OBOGインタビュー:有機農家 伊藤和徳さん
様々な分野で活躍する菊里卒業生を紹介するインタビュー企画。
第2回目は1996年度卒業生で有機農家として働く伊藤和徳さん。
『菊里ホームカミングデー』の企画メンバーで、当日企画『KIKU BUNKO』のリーダーでもある伊藤さんに、現在のキャリアや菊里時代の思い出を語ってもらいました。
30歳で会社を辞め農業の世界へ
―現在のお仕事について教えてください。
私は2010年に、新規就農で新しく岐阜県白川町で有機農業を始めました。今年で15年目になりますね。有機農業と言っても実はいろんな農法がありまして、 その中でも僕がやっているのは、農薬を使わないことに加えて、有機肥料や有機堆肥も使わない「無肥料栽培」というものです。その方法でお米と露地野菜(ビニールハウス等を使わず屋外の畑で栽培する野菜)を年間50品目ほど育てながら、農業体験の受け入れなどをしています。
![](https://assets.st-note.com/img/1720849529199-ndafJGVA8L.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1720849529217-CMOF4q7ygS.jpg?width=1200)
さらに、去年からは放棄されてしまった茶畑を借り受けて、茶畑の再生もはじめました。あとサウナも大好きなので、農業と組み合わせたら楽しくなるんじゃないかなと思って、2年前からサウナ体験も始めました。サウナでととのってもらった後に、うちで育てたオーガニック食材のお昼ご飯を食べてもらうんです。
―農作物だけでなく、体験の場も作られているんですね。
「白川」というと白川郷がある白川村と間違われることが多いんですが、私がいるのは美濃白川と言って岐阜県の南の方で、名古屋から車で2時間ほどのところです。白川町は岐阜県の中でも「消滅する可能性が1番高い自治体」と言われていて、かなり人口減少が厳しいところでして……。だから、農業を辞めていく人も多いんですよね。でも、綺麗な川が残っている里山で、ものすごく美しい自然に囲まれた場所なんです。
![](https://assets.st-note.com/img/1720849645231-fc2GUwzJR8.jpg?width=1200)
―なぜ白川で有機農業を始めようと思ったんですか。
私は中学生くらいから環境問題に関心があって、環境に関わるお仕事をしたいと思っていました。なので大学卒業後は、日本ガイシに勤めて、セラミックのフィルターを使って川の水を綺麗にし、飲み水を作る水処理の仕事をしていたんです。でも、そもそも浄水場って流れてくる水が汚いから、いろんな設備を使ってきれいな飲み水にしなきゃいけないんですよね。そこに私は疑問を持ってしまって。あるプロポーザルの現場で、「流れてくる汚い水をなんとかできないの?」って考えた時に、浄水場の上流にあるものって下水処理場なんですよ。人の暮らしが影響しているので、もっと横断的に広い視野で何かできないのかと感じていました。
―なるほど。
そういうことに、モヤモヤしていたんですけど、私は母を早く亡くしたこともあって、人はいつ死ぬかわかんないし、やるなら早い方がいいなと思って、もっと自然に近い仕事ができないかと情報収集を始め、勉強会やワークショップに参加しはじめたのが社会人2年目(笑)。そこで、有機農業に出会いました。有機農業であれば農薬を使わないから水も汚さないし、取れた野菜を食べれば人間も健康的に暮らせる、そう思ったんです。それに、お客さんとの有機的な繋がりや小さな農園を家族で経営する形も自分の求めていたものでした。
―ご自身のあるべき姿が見つかったんですね。
そこから、ワークショップをきっかけに知り合った方のご縁から白川町の有機農家さんと知り合い、「有機農業を始めるために、土地と家を探してるんですけど……」と相談したら、家と畑を見つけてくれたんです。そして、孔子の論語の中にも「 三十にして立つ」という言葉があるし、今だ!と思って30歳で会社を辞めて、1年間は山梨県の有機農家さんの元で住み込みで勉強させてもらい、32歳で白川町に移住しました。でも、やってみたら必ずしも農業に向いてる土地ではなかったんですよね(笑)。だから少し苦戦もしつつやっています。
![](https://assets.st-note.com/img/1720849687459-jlJP9BphRU.jpg?width=1200)
どんな努力をするべきか、見極めることが大事
―環境に興味があったということですが、大学は何学部だったんですか。
私は北海道大学の工学部環境社会工学科へ進学しました。でも、高校3年生で勉強に失敗して、1年浪人しているんですよ。高校3年生の時は、勉強時間をちゃんとキープしてめっちゃめちゃ頑張っていたのに、全然成績上がらなかったので辛い時期でした。今思うと勉強の仕方が悪かったんだろうなと思います。間違った方向に努力しちゃっていて、努力した分が成果に現れなかったんだなと。
―浪人した1年はどうでしたか。
あの1年間があったから勉強のやり方が修正できたと思うし、そのおかげで大学での勉強はスムーズにできたなと感じますね。高校3年生の時はあんなに勉強できなかったのに、大学は学科を主席で卒業したんですよ。だから、たとえ浪人して1年回り道になっちゃったとしても、起きることに全て意味があるんだなと思いました。
―菊里時代で思い出に残っていることは何でしょうか。
やっぱり部活が楽しかったことですね。私はバレーボール部だったんですが、先輩後輩の繋がりは部活でしか味わえないものだなと思いました。中学でもバレーボール部だったんですが、1年生の時に廃部が決まってしまったので、後輩が入ってこなかったんです。だから、先輩後輩がいるっていうだけですごく特別な感じがあって、高校時代は部活中心に回っていました。
あとはやっぱり菊里祭ですね。2年生の時は、文化祭実行委員だったのでクラスを取りまとめていたんですけど、私のクラスの出し物が全校投票で1位を取ったんです。
―すごい! どんな出し物をされたんですか?
いろんなテレビ番組を再現する劇のような感じです。“テレビの中でいろんな番組が放送されていく”という設定で番組表を作って、SMAPに扮した音楽番組や当時のバラエティ番組を順番にその場で演じていました(笑)。菊里のみんなはユーモアがあるから、どうすれば面白くなるか、みんなで一緒に考えるのはすごく楽しかったですね。夏休みに集まったりもして、いい思い出になりました。
そういえば、私が菊里を受験した当時は集団面接があって、面接官に「菊里は文化祭がすごく盛んなところが特徴的なんです。あなたが菊里生になったら、どんなことをやりたいですか?」って聞かれたんですよね。中学生の時に1度行ったことがあったので、菊里祭がすごく賑わっていることは知っていましたが、何も準備していなかった質問だったんです。どうしようと考えているうちに順番が来て、とっさに出たのが「環境問題についての展示をしたり、何か体験できるようなコンテンツをやってみたいです」という答えでした。中学生の頃から今の自分と根っこは変わってないんだなと感じさせられますね(笑)
![](https://assets.st-note.com/img/1720849778908-Vt0xfFNeVe.jpg?width=1200)
―伊藤さんの芯の強さが感じられるエピソードですね。では、最後に在校生へのメッセージをお願いします。
僕は受験の時、“うまくいかないときは冷静に分析することで、次のアクションが進む”ということを実感しました。『ミステリと言う勿れ』という漫画でも、主人公が“やる方向と質と量がちゃんとマッチしていれば、努力して成果が出ないなんてことはない。努力したら、努力した分だけ上がってくんだ”ってことを言っていました。だから、みなさんも努力する内容を見極めて、頑張ってほしいなと思います。
そして、高校3年生は部活も終わってしまって、受験勉強ばかりになってしまうけど、勉強だけじゃない楽しみを作ってほしいなと思います。私自身、そうすればよかったなと後悔しているので(笑)。例えば、理系だったとしても文系科目や音楽を勉強してみたり。様々な視点を持つための知識や教養=リベラルアーツに触れて、青春を楽しんでほしいなと思います!
取材・文:2004年度卒 久野麻衣