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脱欧再和 ~音楽から見た日本の現況~

きくよしエッセイ 2006年秋 菊池嘉雄72歳 

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  この度、宮城県川崎町青根温泉のじき隣にある「創生の森ギャラリー」に於て「鼓童《こどう》」と「加茂網村太鼓《かもあみむらたいこ》」による極めて日本的な音楽と、「ままのいや」というグループによる極めて欧州的  ( ヨーロッパ的  ) な音楽が演奏されました。三つのグループが合奏したわけではなく、別々の時間帯に、それぞれのコンサートとして演奏されました。
 「鼓童」や「加茂網村太鼓」などの太鼓音楽は、今、全国的に盛んで、私が住んでいる白石市にも数グループあり、学校太鼓グループを入れたら、十指を数える勢いです。この様相は世界的に見たら日本だけのことであり、その音楽は過去の神楽や日本民族音楽から作り直した現代の音楽です。世界にはない日本だけの音楽という意味で「極めて日本的な音楽」のひとつと言えます。
 それに対して四人の女性クラシックボーカルグループ「ままのいや」の演奏したアベマリア等の音楽は欧州的な音楽で、特にアベマリアは欧州文化の中軸をなすキリスト教の音楽ですから極めて欧州的な音楽と言えます。両極にある音楽が「創生の森」のような日本の片隅でも演奏されるところが現代日本の特徴ある状況と言っていいでしょう。なお、「ままのいや」は私の日本的な曲である「こけしの古里」と「桃の節句」も演奏しました。
 今から約百年前に福沢諭吉は「脱亜論」を世に出し、「脱亜入欧」の風を起こし、日本をリードして今日に至ったことはご承知の通りです。日本紙幣の最高額紙幣に福沢諭吉の肖像が使われていることは、今日なお脱亜入欧による日本立国が続いていることの表れと言えるでしょう。その「脱亜入欧」から百年余が過ぎて、「そろそろ欧米一辺倒を脱して日本を再び取り戻そう」という「脱欧再和」の機運が日本人に芽生えてきたのではないかと私は見るのです。「創生の森」という日本の片隅に過ぎないところで、ごくごく小規模のイベントにもそれが表れているのだから、日本全国にそのような兆しが芽生えているのだろうと推察するわけです。
 鼓童に日本の若者が憧れ入団希望者が吸い寄せられていく。加茂網村太鼓集団の笛の音に老いも若きも魅了されるというこの現象は、全ての動物の持つ帰巣本能のようなものが日本人に働き始めたように思われるのです。音楽と言えば西洋音楽が音楽だと思いこんでしまった日本人なのですが、鼓童や加茂網村太鼓集団の音楽に群がり熱狂する様は、人々は無意識のうちに西洋離れし、日本帰りを始めた姿のようにも見えるのです。
 私たち日本人は西洋音楽の歌詞の意味や社会的な役割については殆ど無関心で、音または声だけに反応し、心地よさを受け入れてきたのではないかと思われます。その最もいい例がアベマリアです。最近、病院や県庁のロビーコンサートなどでもアベマリアがよく使われます。自動車やカマボコのテレビコマーシャルにも使われています。が、このアベマリアという歌は何を歌っているのか歌詞の意味を考えながら歌ったり聴いたり使ったりしているようには思えないのです。マリアはイエスキリストの母親であることはみんな知っているでしょう。「アベ」とは尊敬の枕詞だそうで、アベマリアとはキリスト教の祈祷文であり、歴代の欧州作曲家たちがそれぞれ祈祷文の曲づけに腕を振るったものだから沢山のアベマリアという曲があるとのことです。そうだとすると日本の神道に置き換えた場合、神主が「かしこみ、かしこみ、申すー」が「アベ」にあたり、その後の言葉が祈祷の言葉で、それに節をつけて歌っているのと同じことなのではないかと思います。そう考えるとやたらアべマリアを使うのは粗末な扱いをしているのじゃないかと思うのですが日本の皆様はお構いなしです。キリスト教十字軍にいためつけられた歴史を持つイスラム教徒だったらとても受け入れがたい音楽であることでしょうが、キリスト教国に侵略されたことのない日本人はアベマリアが大好きで、何か高級な音楽のように思い、教養の音楽のような気もして、うっとりと聴き惚れたりコマーシャルに使ったりしている、と私には見えてしまいます。原語で歌うからいいのであって、日本語で歌ったり聴いたりしたら違和感を感じると思うのですが。
 文部科学省でも日本伝統音楽を必修にして数年になります。実際には音楽時間数削減と和楽器不足、指導者不足で画餅に終わらなければいいがと心配されますが明らかに「脱欧再和」の動きです。「続欧再和」と言ったほうがいいかもしれません。私は退職後十年間、地元のお琴奏者、笛の奏者、三味線の奏者と「続欧再和」による音楽作りを既に試み、去る十月十五日には白石女子高等学校同窓会白石支部総会アトラクションでその一部を紹介する機会を得ましたが大変ご好評をいただくことができました。
 上妻宏光あがつまひろみつという1973年(昭和43年)生まれの若い三味線奏者がおりますが、この前テレビ対談でこんなことを言っていました。「外国で演奏したときのこと。三味線でも西洋音楽ができることをやってみせたら受けず、日本的なオリジナル曲のほうがすごく受けショックだった」。が私に言わせれば当然のことで、いくら西洋の音楽を上手にやったところで器用な日本人という評価にしかならないのであって、日本そのものの音楽でしか世界に位置することはできない筈なのです。だから百年が過ぎて「脱欧再和」という流れになるのは必然のことなのですが多くの人はそのことに気づいていないように思います。
 また「昴」や「いい日旅立ち」などで有名なシンガーソングライターで現在北京大学で音楽の教授をしている谷村新司が2006年10月13日、NHKTV昼の放送(スタジオパーク)に出演しこんなことを言っていました。「私は団塊の世代の真ん中。ギターを手にしたのは女の子にもてたいためで音楽のためではなかった。その頃アメリカ文化がどっと入ってきて、アメリカ人になりたいと思った。最近アジアに関心が移った。中国の若者にギターを持ち込んだのが私(谷村)、中国におけるビートルズといわれている。六十歳の還暦を迎えて関心は日本と日本人に移った。日本人なのに日本のこと何もしらないことに気づいて三年間日本のことを夢中で勉強した。面白かった。大切なのは日本を知り日本を歌うことだ」。
 更に衝撃的とも言えるのは秋吉敏子あきよしとしこ(本名穐吉敏子あきよしとしこ) 昭和四年生まれ)の場合です。今年七七歳になる米国で活躍しているジャズピアニストで1999年、七十歳の時にアメリカの「ジャズ殿堂入り」の名誉に輝きました。また今年十月に「ジャズマスターズ」というジャズ界の最高の称号がアメリカ芸術基金団体から与えられました。頂点に立った彼女ですがそこに至る道程はかなり孤独なものだったようです。秋吉自身が書いた自伝「ジャズと生きる(岩波新書)」の中にこう書いています。「二十年以上もアメリカで磨き続けたが、結局、何ら誇示できるものなくここまできてしまった。世の中は私のジャズを必要としていない。アメリカ人でない私が、何十万ものアメリカ人プレーヤの中に頭をつっこんで一生懸命ジャズを演奏している。その存在は砂漠の一粒の砂より無意味で、むしろ滑稽だとさえ思った」。一時は音楽を捨てようとしますが思い直して「日本人秋吉敏子のジャズ」を作りだす道を歩き始めます。次第に「日本文化とジャズの融合」に目標が収斂していき、数々の名作を物にします。「ロング・イエロー・ロード(長い黄色い道)」という曲では黄色人で女性であるがゆえに受ける差別・偏見・冷遇の険しく長い道のりを表現しています。日本の鼓を入れた「孤軍」という曲はルバング島生還者小野田寛郎陸軍少尉に捧げたものだそうです。終戦後二十九年間も一人で戦い続けた小野田少尉と米国のジャズ界で一人で歩み続けた秋吉が重なって感じられたのだそうです。「ミナマタ」という曲は水俣病の悲惨な出来事をジャズ語で記録したものだそうですが(秋吉は大分県、水俣は熊本県で近い)、ここには観世寿夫の謡曲が取り入れられております。これらのジャズは「トシコスタイルジャズ(Toshiko Style Jazz)」と呼ばれて高い評価を得たわけですが、それらを作り出すに当たっては世阿弥の花伝書や宮本武蔵の五輪書なども参考にしたようです。このように日本人としてのジャズを創造することによってはじめてジャズ界で立場を得ることができた例が秋吉敏子の場合です。
 このことはクラシック作曲界でも故武満徹たけみつとおるや若い細川俊夫などに同様にみられることです。特にクラシックではいくらヨーロッパを凌ぐ演奏をしたとしても、ヨーロッパが元祖、家元、本家、本元であることがひっくり返るわけではありません。民族の意識は数千年たっても変わらないもののようですから、これから先も日本は真似の上手な国としてしか認識されないことでしょう。
 この「脱欧あるいは続欧再和」は音楽に限ったことではなく、和食の世界進出、フランスでの和服を取り入れたファッションショー、お茶、生け花、俳句の世界進出、日本映画の世界的評価、歌舞伎や能の世界公演、等々に見られるし、「日本のしきたり」とか「日本人とは何か」といった日本見直しの出版ブームなど日本の文化全体にたいして見られる現象のように思います。
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