来世に期待して今を生きる。
最近、羨ましいなぁとあまり思わなくなった。
昔は親しい友達の事でさえ
『いいなぁ。羨ましいなぁ』なんて思っていた気がする。
私の生活は変化のない日々だ。
変化は望んでいない。
変化するというのはそれに合わせて自分の心もコントロールしなければいけない。
心を穏やかに過ごすことが私にとっては命題なので
変化というのは望んでいないし、やって来られても困る。
言わば大敵だ。
それに順応するように他人を羨ましいとは思わなくなっていったのだろう。
もちろん昔は色んなやりたい事があった。
日本から出た事がないので海外へ行ってみたい。
今でも思うのはサグラダファミリアやアンコールワットなど
世界の歴史を感じられる建物を生で見てみたかった。
仕事だってバリバリしたかったし
一人暮らしもしてみたかった。
恋をして好きな人と暮らしてみるのも楽しそうだ。
ウェディングドレスだって一度くらい着てみたい。
でも、そういうやりたかった事は来世でやろうと思う。
来世では今世で出来なかった事を沢山やってやろうと思っているのだ。
特に信仰している宗教などがあるわけではないが
いつからかそんな風に考えるようになっていた。
だから仮にやりたい事を見つけても
それは来世で叶えようと思う。
来世の私は今の私の記憶はないだろう。
それでも来世に委ねるのは
きっと来世は今より幸せだと信じたいからなのだろう。
◇
もの凄く充実した日々を過ごしていたり
人に羨ましがられるような人生を送っている人をみると
前世でどれだけ徳を積んだのだろうと思ったりする。
その考えでいくと私が来世で今世の出来なかった事をやろうと思ったら
今、徳を積まなければいけない…
なんて思ったりして焦ってしまう。
このままだと来世も今世と変わりがないかもしれない。
あれ?ダメじゃん。徳を積まなきゃ…っと言っても
徳ってどうやって積むのか分からない。
仕方がないのでやはり根拠もなく来世に期待するしかない所に落ち着くのだ。
◇
今世で体験できない事はドラマなどを観て体験した気分になる。
ドラマの中には色んな人生を送っている人がいる。
毎回その人生を送った気分に少しなって満足するのだ。
恋愛ドラマならドキドキしてキュンキュンして
時に落ち込んだり傷ついたり…。
サスペンスものなら一緒になって謎を解明していく。
これがもし現実世界の私でやろうとしたら大事だ。
心の波なんて嵐のように吹き荒れる事は間違いない。
そうなると人を好きになったり謎を解いたりする余裕なんて無くなっているだろう。
だから私はドラマを観てそれで充分なのだ。
変化のない生活を送るうちにテレビや映画を観る時間が増えていっているのは
ある意味、私の欲求を叶える為なのだろうと最近気づいた。
アレもコレもと自分でも呆れるほど色々観ている。
最近なんてついに中国ドラマにまで手を広げた。
でも、それは苦痛ではないし寧ろあり得ないストーリーだったりする事が多いので
観ていて単に面白いというのもあるだろう。
あんな風にバリバリ仕事したかったな。
あんな恋をしてみたいな。
それ位ならきっと思った事がある人は大勢いるはずだ。
ただ私は、それを現実には期待していないし
そもそもドラマだから成立するのであって
リアルではあるわけないとも分かっている。
◇
夢や希望を貰っているかと言われると
私の場合は少し違う気もするが
来世でのやりたい事リストはおかげで充実していっているだろう。
きちんとリストにした所で来世の自分に渡す事は出来ないので
なんとなーく頭の片隅にある程度で丁度いい。
それに小説を書きたい私には勉強になってくれている。
こんなに沢山来世でやろうと思っているのに
小説を書く事はこの世で叶えたいと考えているのだ。
どうやら小説を書く作業での心の波はさざなみ程度でやり過ごす事が出来ているのかもしれない。
◇
あれは無理でもこれは出来る。
そういう事を探しながら生きていくのだろう。
それは私に限ったことではない。
みんな、そうして出来ることをやって生きているのだ。
人によって出来ることは違うから世界は成り立つ。
それなら私のこの生活も世界を成り立たせているのかもしれない。
そんな人もいるんですよと。
存在感を主張する気はないので今まで通り影で細々とこれからもやっていくのだろう。
来世はきっと幸せになれる。
そうだといいね。
そう信じて今を生きていくしかない。
それは決して悲しい事でも残念な事でもない。
そういう運命だったというだけだ。
だからこそ運命さん
来世はよろしく頼みます。
今世では色々諦めて我慢するように頑張りますので
どうかこの願いをお聞き届け下さい。