菊谷隆太
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仏教の本質は何か。仏教を机上の空論で終わらせないために。「迷い」とは、「どう生きるか」ばかりで「なぜ生きるか」考えないこと。
仏教の本質的な部分を説き明かします。 「なぜ人はどんなに苦しくても生きねばならないのか」 「いつか死ぬ命を生き永らえる理由は何か」。 これが人生の核心的な問いであり、これに目を向けないことを「迷っている」と仏教で言われます。「どう生きるか」ばかりで「なぜ生きるか」考えないことです。 ここは本質的なところで、わからないと仏教は机上の空論になりますので、しっかり知っていただきたいと思います。 ◆20回の無料メール講座はこちら http://kikutaniryuta.com/gift/017/index1104youtube.html ↑無料メール講座では、仏教に説かれている「生きる意味」の答えを明らかにしています。 登録された方には、特典小冊子「あなたを幸せにさせない5つの間違った常識」をプレゼント!
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歎異抄「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり」
「何が善で、何が悪か、善悪の分別くらいついているよ」と私たちは思っていますが、本当でしょうか。 たとえば「ウソ」はどうでしょう。 「ウソをつくのは悪いこと」「正直に生きなさい」「ウソが嫌いな人間になりなさい」と私たちは親や教師に教えられて育ちますが、これだって単純ではありません。 ちゃんと実行していくとどうなるか。 「正直にいいますが、貴方はヒョットコみたいなお顔をしていらっしゃいますね」 「貴方は間違いなく末期ガンです。葬式の用意でもなさって下さい。私はウソが大嫌いですから申します」 たちまち「空気の読めない人」「嫌いな人」「悪い人」と、レッテルを貼られてしまうでしょう。 プレゼンを終えた同僚が「なんでもいい、気がついたことをずばずば言ってくれ」と言うので、「それなら」と感じたことを率直に言っていると次第に不機嫌になり、黙って行ってしまった、という話を聞いたことがあります。 どうも素直で正直な善人になろうとすると、悪人になるようです。 親鸞聖人は『歎異抄』で、こう仰っています。 「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり」(『歎異抄』後序) “親鸞は、何が善やら悪やら、二つとも分からない”