『Sister On a Water』(シスオン) のセクハラ問題について
1.僕(菊池あき)について。
僕の責任。
原稿作成、校閲には全くかかわっていない。スタッフとしては写真を提供した限りである。残念には思うが、僕には殆ど責任はない。
僕の立場。
スタッフとしては「僕の責任」のところで述べた限りである。それ以外については、読者としての僕の見解である。また、喜多氏の意見ともかかわりはない。シスオンのなにがしかを代表しているわけでもない。
2.榊原氏のnoteについて。
・「暴く」という表現の問題。
インタビューは服部氏と喜多氏の同意のもと行われ、質問に答えないことも十分可能であった。同意のもと聞き出して公開したのであり、「暴く」というほどの暴力性はない。
・中原中也にかんする問題。
容貌と権威のある詩世界のスーパースターに惹かれるのは男女問わず自然に推察できることであり、それは特に性的偏見とは感じない。しかし、喜多氏は服部氏のことを男性愛者だと決めつけてかかっているのではないかという疑問はある。
・歌とプライヴェート
歌というのは歌人の個人的な要素と結びついて読まれるものでもあり、私的な質問は(同意の上ならば)不必要不適切とは感じない。また、服部氏そのものの特集という性格上、服部氏の私的な部分に触れること自体は不必要で意味のないことではない。
・榊原氏の勇気と慧眼。
セクハラ問題について鋭い目を持ち、先駆けて批判されたしたたかさを素晴らしいと思う。
3.服部氏のtweetについて。
・セクハラはあったか。
セクハラはあった。被害者がいるので間違いない。(服部氏がセクハラだったと述べておられるのだからセクハラに間違いない。)
・謝罪の矛盾。
セクハラを許容する先例を作ったことにまで目を向けられるなら、セクハラ被害者が謝罪する先例を作ったことにも当然謝罪なさるべきだろう。(もともと謝罪するような問題ではない。堂々としていればいいはずだ。)
・服部氏の勇気と優しさ。気配り。
自分を偽らず、また自分の言説がもたらす影響について配慮される姿勢に尊敬の念が湧く。
4.インタビューについて。
・インタビューのセクハラ問題。
恋愛という性的な事象について、個人的な意見を前置きなくずけずけと聞いているのは明らかにセクハラと認められ、問題である。
・セクハラを避けるためにどうすればよかったか。
恋愛について個人的な話を聞いていいかどうか確認すべきだった。(おそらくその前置きを置いたら聞けなかったとは思うが、それならば聞くべきではない。)
5.あとがきについて。
・あとがきのセクハラ問題。
「女神」「いもうと」などと、やたらに女性的イメージを喚起する言葉づかいをしている。不適切な女性的イメージのもとに他人をおしこめる行為であり、問題である。(しかし人を形容することは全てイメージのもとにおしこめる行為ではある。ここで問題なのはその適切さだ。)
6.喜多氏について。
・喜多氏の行為の問題。
セクハラに当たる発言を行ったこと。そしてそれを世の中に広めたこと。
・喜多氏はどうすべきか。
関係者、読者に問題を認めて謝罪すべきである。また社会的に広く(たとえばネット上で)問題を認めて謝罪すべきである。
・喜多氏と会って。
これから会う予定があるので、また書こうと思う。服部さんにもお会いした方が公平だが、立場上遠慮させていただく。
喜多昭夫『Sister On a Water vol.1』
榊原紘『「Sister On a Water」第1号の問題点』
https://note.mu/hiro_sakakibara/n/na8123cda821e
服部真里子 tweet