238.さようなら、無価値観。
ずっとずっと長く私の根底にあった無価値観。
その無価値観からくる思い込みで、自分を蔑ろにしていた人生。
”大切にされない” 現象を起こしては、強制終了。
それを繰り返し繰り返し続けていたことで、ここ数年は何度も瀕死になるほどの強制終了が起き、嫌という程、この前提に気付かされることとなった。
自分としては少しずつ変わっていっていたつもりだった。
嫌なものは嫌という、断る、というところから始まったっけ。
そこから、迎合することをやめ、本音と行動を一致させるように意識し、無理や我慢に気付けるようになり、必要以上に人の世話をしなくなり、
友人たちは思ってるほどでもないよ、と言ってくれるけど、自覚としてはずいぶん我の強い、感情的な自分と対峙することとなった。
それは、一番見たくなかった、認めたくなかった自分の一部。
そりゃそうでしょう?
無価値観でいっぱいなのだから、人から価値がある人、と思われるためには、嫌われてはいけないのだから。
いい人で、正しい人で、何でもできる人で、優しい人でいなければならない。
怒ったりせずに、受容力が高く、愛に溢れている人でいなければならない。
他にもいっぱいあるけれど、もうこれだけ書いていてもわかる。
こういう言い方は好きではないし、実際は価値があるとかないとかっていう概念は存在しないけれど、
そうすればそうするほど、より自分の価値を下げる様なことをしていたというわけだ。
そう、つまり、
「ただの都合のいい人」
になっていただけだった。
自分が自分のことをそう扱っているということは、周りに私を都合よく扱ってくださいな。とお願いしているようなもの。
それに気が付いてからは、自分でもびっくりするくらいにマイペースになったり、逃げるということを許可したり、正しさより楽しさを選択するようになったり、
全てを受容したり、常に愛の視点で考えるのではなく、自分で自分の感覚をしっかり感じてあげて、選択する、ということを覚えた。
嫌なものは嫌と言い、できないことはできないと言い、怒る時は怒るようになった。(そのせいで、身近な人とは喧嘩したり本気で言い合うことも増えた時期もあったけれど)
そうすることで、これまで否定しまくってきた自分の弱い部分を全部直視することになって、目の前が真っ暗になった。
けれども、その ”絶望” をただただ抱きしめてあげたら、無価値観を手放すことになった、、。
というオチが来るかと思いきや、
「別にあってもいいんじゃね?誰でもあるんじゃないの?無価値観。」
という結論に至った。
「そういうのって固定している物じゃなくてさ、自分の状態によって波があるんじゃないの?誰だって、メンタル弱くなると人の目が気になったり、嫌われたくないって感情は持つと思うけどな。」
「ただ、ずっとその前提を持ち続けた上で自分や周りを苦しめる選択、行動していかなければいいんじゃないの?」
なるほど、そうかもしれない。
私はとある人を思い出した。
その人はこう言っていた。
「私って、何の取柄もない価値のない人間だからさ、何やっても楽しいのよ。元々何にもないから、全ての体験に感動するし、楽しくてしょうがないのよね。それに、今からいっぱい得れるものがあるから、いつもこれからが楽しみなのよ。」って。
全てが遊びのようなもんってよく言ってたっけ。
同じ前提を持っていても、自分を楽しませることにエネルギーを注いでいるのね。
そもそも何の取柄もない価値のない人間って本人は言っているけれど、そこに自分を否定するようなネガティブなエネルギーが全く乗っていなかったな。
ってことはそもそも前提とかあんま関係なくない?
一見したらマイナスに思えるようなことも、モチベーションになっている人とか、糧にしている人って実際結構いるよね。
持ってしまった感情は、もうどうこうしようとしなくてよくてさ、それはそれで認めてあげてよくないか?
その先の選択と行動を創造的にしていけばいいだけなんだな。
そう思ったら、無価値観で苦しんでいた自分に許可ができた。
なんだ。別によかったんじゃん。無価値観あっても。
(あってもなくてもどっちでもいいということでもある。そこはさして重要ではないってことね。)
皮肉にも、私は無価値観があったおかげで、とにかくあれこれ取得しようと手をつけたもんだから、色々な体験をさせてもらっている。
結果器用貧乏になってしまったけれど(器用でもないけど笑)そのおかげで、自分の中の色々な要素が組み合わさって、楽しい体験が沢山出来ている。
インプットも多いのでネタに困ることはなくて、毎日投稿も苦にならない。
なんだ、手放さなくてよかったんじゃん。
あれだけ必死こいて手放そうと努力したのに、、(笑)
もちろん、いただけない解釈は手放したけどね。
というわけで、私にとっての
”さようなら、無価値観”
とは、その前提を持ってしまった自分を許してあげることだった、というオチ。
自分の人生を自分で創っていくって、こういうことなんだろうな、と腑に落ちたはなし。
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