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【エッセイ】春の訪れ(700字)

仕事の日は毎朝6時に家を出るが冬の間真っ暗だった景色に色が戻って来た。春が徐々に顔を見せて来ている。

春というのは素敵な季節だ。しかし、自分の場合はスギ花粉症につき苦悩に満ちた時期でもある。処方された薬を服用しているがスギ花粉への反応が強すぎて薬が効かず毎年必ず鼻水に溺れそうになり眠れない日がある。まさに地獄である。

この世の地獄を感じる時、死後の世界に思いを馳せる。不朽の名作ダンテの神曲によると、地獄の最下層では、氷漬けにされ幽閉されたルシファー(堕天使=悪魔の王)がイスカリオテのユダ(イエス・キリストを裏切った十二弟子のひとり=人類史上最低の罪人)を永遠に噛み続けているらしい。おぞましい光景である。

私もとても罪深い人生を送っているので、眠りの間際に寝ている時に心臓が止まって死ぬかもという不安に襲われてしまうことがあり、魂が地獄にて氷漬けにされた上に悪魔に噛み続けられる苦痛を想像してしまう。そして慌てて罪を悔い改める。

さて、花粉症などない方にとっては春は真にすばらしい季節だろう。冬の肌を刺すような寒風から解放されて温かな陽光が眩しい。ソメイヨシノは美しく咲き乱れ、人々の顔は自然に綻ぶ。

ずっと春がいいと願う。しかし、もし季節に春しかなければ我々はきっと春の訪れを喜ばしいと思わないだろう。夏には冬に恋焦がれ、冬には夏を懐かしむ。一説には春と秋という季節は、本当は夏と冬しか存在しないのでその移行期に仮に想定したものと主張する学者もいるくらいだ。私もそちらの説の方が正しいと思う。

何かを希求するのは欠乏によるのである。満たされていたら何も求めない。否、求めるということすら想念として上がってくることすらない。

でも。夏も冬もいらない。


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