【エッセイ】中元(500)
今日、生まれてはじめてちゃんとした中元なるものを贈った。
なんのための習慣なのだろうと思っていた。ただ煩わしいだけだと。
今年の春先、人生で初めて仕事のコネを使った。今までも人間というくらいなので何かしらのコネを使って生きては来たが、仕事の斡旋で使うのははじめてだった。
急に廃業した前職に代わり、次の勤め先を斡旋してくれた方だ。
人生を左右するようなコネだった。そのコネを使わずとも何とかなったかも知れぬが、年齢と限られた経験的に相当な苦戦が予想された。
その人はLINEでのやり取りから「仕事の借りは仕事で返せばいい」というスタンスのまさに仕事に生きるような方なので却って具体的な贈り物は失礼に当たるかもとも考えた。
同僚に相談すると「一回やったらずっとやらなきゃいけない」とか「あなたがしたら私もしなきゃいけなくなる」とかそんな打算に満ちたガッカリする回答だった。相談する相手を間違えた。
そういう大事な話は妻にすべきだ。
妻は「した方がいい」と言ってくれた。そりゃそうだ。
人には心というものがある。私は打算が最も嫌いだ。恩義は大切にしたい。周り回って自分に還ってくるかどうかもどうでもいい。私はただ感謝を示したいだけだ。
付き合いだけなら中元ほどくだらぬ習慣はあまりないが、感謝を示す手段としてならいい風習だと今年は思った。