テイカーとギバーどっちもやってみた
超テイカーだった私は現在ギバー側になって生きております。ギバーとテイカーの良し悪しはおいておいてテイカーだったときの自分とギバーの現在で比べてみようかと思います。
テイカー時代
短期的に得をするし楽なのはテイカー。
そのときはできるだけ大変な道を避けるため、短期的に苦労をすることはありません。ただし、以下のような人間関係を築いていました。
周りから好かれない
なにかと軽んじられる
うっすら信用されていないのを感じる
例えば、普段仲のいいグループの友達に彼氏ができても、なんとなく私にだけ知らされていなくて、何かの拍子に知って「あー…そうだったんだ、てか直接教えてもらってないし知らない振りしたほうがいいやつなのか…?」と気まずい思いをしたり、学生あるあるの「グループ作ってー」タイムで端数が出るとなんとなく私が入れてもらえないなど…。
人から軽んじられることが多かったため人間不信になり誰にも話しかけられず孤立を極めていました。
今思えば、私がなにも人に与えられておらず、学校生活から普段の遊びまで、友達に色んなことをただのりさせてもらっていたのであたり前なのですが、、当時はそれが自覚できていなかったので、自分はそういう星のもとに生まれた人間なんだ…と自分自身を納得させようとしていました。
ギバーになった今
既に社会人だったため自分のギブ先は主に会社でした。
会社でギブをしまくった結果、最初の2年くらいは本当に自分の時間もないし、正直ストレスまみれでしたね。
多分、短期的だと損をするし大変なのはギバーです。
周りから慕われるようになった
自分が大変なときに周りが助けてくれるようになった
尊敬される
少しだけ友達ができた
全体的に人から尊重されるようになりました。後輩から多少慕われるようになったり、上司に意見を聞いてもらえるようになりました。以前は仕事の関係であっても後輩から慕われたり周りから尊重なんかされず、むしろいじめや陰口の対象だったので、仕事上の付き合いだからというのはあるかもしれませんが大躍進です。
長期的に考えるとギバーのほうが生きやすい
どちらも経験した結果、今後も人に何か与える人生でありたいです。
与える行為に重きをおくことで、確かに自分だけがやってあげているという状況になることもあります。ただ、それは短期的な話であり長期的に見ると、自分が本当に困ったときにみんな快く助けてくれたり、多少のミスはお目こぼししてくれたりなど、私にとってはいいことづくめでした。
人から尊重されることで自己肯定感が上がり、それまで「人生はクソ、世間はクソ」と思っていた辛い気持ちもなくなりました。
また、最初は与える相手を選ぶことができませんでしたが、今は与えてきた実績により与える相手をある程度選ぶことができるようになりました。
そして分かったのが、ギバーはギバー同士で与え合って利益を享受している、ということです。
そりゃギバーはボランティアではありませんから、優先順位があります。最初は一番自分の利益になる人に与えて、残った余裕で自分の利益にならい人にも与えます。
自分が与える分同じように与える人から力を貸してもらえるので、質の良い自己研鑽が可能です。
周りを見ていても真に尊重され成功しているのはどちらかといえば人のために動ける人で、人のために動ける人が少ないからこそ需要が高く、成功へ繋がっているんだな…という心理に気づきました。
よく、成功者ほど意地悪で周りを蹴落とすようなことをする、という言葉がありますが、それは間違っていて、上り詰めたギバーは同じくギバーに返すため完全にあぶれたテイカーが無視をされ、それを蹴落としだと勘違いしているだけではないかという気がするのです。本当に人に与えられていたら、長期的に見ると必ず自分に良い形で返ってきます。
本当に周りを蹴落とすようなタイプだとしたら一見利益を享受しているように見えるだけで、長期的に見ると人から恨まれていてなにかと足元をすくわれそうになったり、なんだったら告発で職を失ったりなど不幸な結果になると思います。
実際に自分は短期的には甘い蜜を吸って楽していましたが、長期的に見たら信頼できる人間関係もなく、孤独でしたし…。