エネルギー循環させてこ♾️!
なんとなく「エネルギー循環させてこ!」と感じた。
去年、一昨年と小さいながら、何人かに来てもらってイベント的なことをした。
味噌づくり。リトリート企画。映画の上映会。
それぞれに、人は集まって良いつながりができてハッピーに終わった。けど、同時にわたし自身の中ではなんかもやった。
もやる、とかほんとは使いたくないんだけど。
それは、簡単にいえばお金、というか対価のことに由来しているかもしれない。
いずれも、トライアルの気持ちもあったため、わたしの取り分はなく催行した。ゆえに自分が準備したり企画オーガナイズした時間と労力はまるまる持ち出しだった。
リトリートでは、終わったあとに参加者から「大切な母の形見の指輪が見当たらない、落としたっぽいから見てほしい」と言われ、急きょ片道二時間のところクルマ飛ばして開催場所に行って散々、必死に探したあげく後になって「ごめんなさい、カバンに入ってた」という顛末。(そんな大切な指輪は持って来んな!って感じ)徒労感が残った。
上映会は一緒に企画した相方が「値段が高いとみんな来てくれない、釣り銭もない方が楽。このような上映会を継続するために営利でなく、自分たちで持ち出しでいいから始めよう」と言うのもあり、他の場所に比べてかなり破格の値段で上映することになった。
結果的に上映用のレンタル料金を払うためにはチケット代では足りず(場所のキャパも)企画したわたしたちが足りない分を補った。
営利目的でない、地域貢献的な考え方は感心だ。まずはギブから、始まるのかもしれないのだけれど、主催者の持ち出しありきで上映会を継続していくのはどうなんだろう(相方曰くいずれ黒字かするだろうとのことだったけど)。そして相方がやるやる言うわりにはあまり動いてくれず、わたしばかり色々動いたように感じたこと、個人的な相性もよくなかったのでコンビは解消した。
ここまで書いてみて、もやもやの原因はわたしがはたらいたことをちゃんと認めていなかったから、だよね。
上映会以外の二つは「まだトライアル段階だからお金はとらなくていい」そう考えて、わたし自身がわたしの働きを認めていなかった。
それからお金はとらなくても、わたし自身が充分な働きをしてエネルギー使っている、っていうことを相手に伝えることもしなかった。
あーそりゃ、企画が終わったあとに充実感もあったけど、それよりも疲れてしばらく元気出なくなってたのはこれが理由だったんだ。
これから、またあらたに始めようと思っているけど、エネルギーは何らかの形で循環させていかなくっちゃね♾️!
写真は、雪の上に落ちた照明の光。わたしのエネルギーの渦が伝わって循環していくイメージで:)