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0127|春の気配

昨日と今日はあたたかくて一気に春の気配。今いる飛騨と美濃の境、中津川市最北部の旧・加子母村の北部では積もった雪がほとんど解けた。畑の脇を見たら、もういくつか雑草の花も咲いてた!

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毎朝、太陽視とちょっとしたお祈り、マントラのようなものを唱えている。お昼休憩の散歩のときも、そう。最近、口にしはじめたのは、ドルフィン・フレーズ。鎌倉の有名なドクターの本に載っていたもの。

「いまの自分は大丈夫」・・・チャクラ1・2
「いまの自分に感謝」・・・チャクラ3
「いまの自分が大好き」・・・チャクラ4
「いまの自分をよく知っている」・・・チャクラ5
「いまの自分は宇宙の全て」・・・チャクラ6・7

今日は昼ごはんの後に近所をルーティーン散歩して、戻ってから太陽を見ながらこれを唱えた。すると「今、イマなんだ!」という気持ちがこみあげ、なんだか腑に落ちた。先の心配なんかしなくてもいい。すべてはこの今、ここにやっぱりあるんだ、と。


実は昨日、おとといとなぜか夜すぐに眠れず、寝るのがいつのまにか午前様というありさま。昨日の日中は大丈夫だったものの、今日はさすがに集中力が続かない。気持ちを切り替えようと外に木材探しに行ったらちょうど良い材が見つかったものの、肝心の作業は進まず。そのうち、ほぼ午前中いっぱいかかって取り付けようとしたパーツの加工は、今のわたしには技術的には無理だとわかった。まずは今手早く確実にできる範囲で目の前の部分の作業を終えよう、その方が時間もかからなくて良いだろうと決めた。

以前のわたしだったら当初のアイディアに固執してしまっていたかもしれない。「最初のアイディア、今のわたしには技術的にできないから変更したよ」。昼休憩前に現場監督の進さんに伝える。「それも良い判断や。初めての仕事でどこまでできる、できないを理解して、今はできないと決めるならそれでもいい。窓枠がらみの壁面の内装はあとふたつある。きっとその先でできるようになるから」そのようなことを言われた。いつものわたしならいくらでも反論、攻撃できるのだけど素直に聞き流してみた。


午後になってふと、わたしの視点ではなくて、進さんの視点で、わたしが起こしているできごとは何の反映なのだろうか、と考えてみながら作業を続けた。

今やっている内装は多少の独創性を出せる作業ではあるけれど、それ以前に必要な技術がある。例えば木材をまっすぐ、細かく深さ調整して切ったり、サンダーをかけて垂直水平を整えて材を取り付けるとか。実際のところまだ基本があまり身についていないので時間がかかるし、そろそろ飽きてきた。

その様子を見て進さんは「全体を見て。ハッシーは集中できるときはできるけど、はまりこんでしまいがち。まずできるところから形にしていく」というようなことを言った。「わかってるよ〜!だから最初のアイディアはやめたの。初めてなんだから時間配分はわからないの当たり前じゃん!」ちょっとキレ気味に応えてしまった。

人に指図されたくない、人に何か言われたくない。完璧にやりたい。自分が正しい…もし、わたしの言動が進さんにそう映っているとしたら??そのわたしって進さん自身の反映でもあるんじゃないかな?だからお互いにとっての気づきある機会なのかもしれない。内側が外側、すべて自分が起こしている。

すっかり日が長くなり、夕方5時のチャイムが鳴ってもまだ明るい。進さんとわたしは今週ずっと壁を隔てた向こうとこっちで別々に作業していた。「ハッシー見て!こっちのスペースの天井貼りは今までやったことない形だったけどハッシーがチャレンジしているように、俺もチャレンジしてみたんだ。なんとかできて、ホッとしたわ。俺もよくやった」そう言われてなんだか照れくさく恥ずかしくなった。わたしなんか大したチャレンジしてるわけじゃない。やってる作業は面白いけど、できないと感じたらすぐに助けやヒントを求めちゃう方。今回やっと自分で考えたり工夫してトライ&エラーで仕事を進めるようになってるところ。小さく「ありがとう」と言って自分の持ち場に戻って作業の続けた。こんな場面でありがとう、は少し前のわたしでは言えなかったこと。

相手に対しての感情(大抵は怒り)がわき起こる時に、自分の中の何がそれに反応しているのか。最近はその渦中でもそれを感じてみようと少しは客観的にみられるようになってきている気がした。

工事はまだもう少しかかりそう。内装に使う木材を見ていると、早く帰って自分の部屋の内装リフォームをしたくなる。あるいは中古の一軒家の内装仕上げだって面白そう。今の部屋はなるべく早く手放して次の場所に引っ越すつもりだけど、まずは今あるものをちゃんと愛して手を入れてあげることが先だよね

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やっとひとつの窓周りが終わった!



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