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0911|案ずるより生むがやすし

考えこみがち、なわたし。あれこれ考えめぐらせて…で、やらない。

あるいは、その逆。こわい気持ちを顧みないまま、無鉄砲に実行してみたりする。最近はその勇気もあんまりないけれど。

どうしてこんなに、新しいことや未知の世界に踏み出すのがこわいんだろ。

ひとつは、そこに期待と欲があるから。こうあってほしい、こうならなくてはいやだ。行動するからには、裏切られたくない。年を経れば経るほど、そんな計算高さがあらわれてくる。

もうひとつは、亡くなった母からの影響。これは最近、友人から指摘があって気づいたことで、自分内検証中。ひとり娘で厳しい両親に育てられた母は自分の本心を大事にする、こと以前にほぼなんでも両親に従わざるを得なかった。そんなこともあってものすごく心配しぃだった。これも、わたしのとらえ方だけど。

このところ、起きたできごとや出会ったことばについて、少し深くみてみるようになって、そこに何かのメッセージがあるんじゃないかと見ている。冒頭のことばは今日、友人とやりとりしていて感じたこと。

「なんとか徹夜で仕上げた書類を持ってどうなるかと公的機関に行ったら案外スムーズに進んだよ〜」と友人にきいて、浮かんできた「案ずるより生むがやすし」。もちろん、これは今、目の前に迫った色々をどこから手をつけていいか見当つかず、放り投げようとさえもしている自分自身へのメッセージ。

そう。前にも書いたけれど「ハードルは自分自身が高くしている」のだから、自分を信じていれば「案ずるより生むがやすし」だ。(終)


*冒頭の写真は2016年夏のシアトル。ダンス瞑想ワークショップ後のピクニックで他の参加者が湖に浸かっているところ。遠くに山(マウントレーニア?)も見える。このワークショップ、宿泊は参加者自身で取らなくてはいけなくて、開催直前に参加を決めたら夏休みの週末絡みで宿泊施設が全然空いてない!でもまぁ、とりあえずなんとかなるだろうと大して案ずることなく会場に赴いたら、以前、東海岸でのワークショップで一緒した仲間にバッタリ!彼女も宿なしだったけど結局、ローカル参加者のおうちにふたり一緒に泊まらせてもらうことになった。余談だけど共に既婚者だったその仲間もローカルさんも離婚して、そのときとは違う暮らしをしているみたい。一歩踏み出し、成長し続ける勇気ある彼女たちに乾杯!

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