0917|部屋とわたし

なんとなく、今いる部屋がしっくりこない。片付けも進まない。自分が居心地よくなるようなインテリアにする気も起きない、それへの努力もなかなかできない。

今住んでいるのは家族の熱意があり買った山の見えるリゾートマンションの一室。内見に来たときのわたしの第一印象は「ないなぁ」。一見、豪華に見えるけどハリボテの外観、ペナペナの内装。ここでどんな普通の暮らしをしたらいいんだろう、ふたり暮らし(になるときは)どうやって暮らすんだろう、見当がつかなかった広いワンルームの間取り。キッチンはIH。対して「ひとめ見て気に入った。あんた、ここにしなさい!」と家族。年を取って老人ホームの個室に暮らし、今は自由に動くこともできなくなった彼女にとっては憧れの素敵なお部屋に見えたかもしれない。

そこに住みはじめると常になんとなく感じる自分自身と建物との違和感。最も大きなのは、自分の直感に従わず、大事な判断を家族に譲ってしまった自分自身への自己嫌悪。そのうち「ここにずっと住まなくてはいけない」…家族に鳥かごに入れられ自由がなくなり束縛されたもがき。

すぐに息苦しくなり、数ヶ月してもともと気になっていた海外へ長めに出かけることを決めた。旅の間は一ヶ所に長く落ち着くでもなく、各地の友人のところや宿泊先を転々とした。それから、自分の部屋に戻って気づく。「ここじゃない!」

半年後、やっとの思いで部屋を出た。海辺の街で大家さんと同居のシェアハウスは合わなくて結果的に追い出された。それから借りた部屋は一階で湿気だらけ。その次に借りたのは、大家さんの家の二階(別玄関)。階下に住む大家さん一家の大きくなった娘さんがたぶん精神疾患で朝晩構わず泣きわめき、それを叱る大家さんの声が聞こえてくる騒音物件。逃げるようにして移った三つ目の部屋。山が近くて静かで…結局、山のリゾート物件に戻ることにした。

その間、リゾート物件は売りに出していた。何回か買い手がついたけれど話がまとまらなかった。一度は、わたしの中では土地にも部屋にも思い残すものはない、とすっきり手放せた心持ちだったのに、最後の最後で流れてしまった。神様はほんとうに不思議なお導きをなさる。

そんな訳で出戻ってきて二年弱、たいして愛情が持てないこの部屋に相変わらず住み続けている。この部屋にずっといると、ものごとが停滞する感じがする。それは、リゾート物件ゆえに(多少の定住者はいる)多くの部屋が空き部屋でゴースト感が漂っているからか。では逆に、ものごとが動く感じがするときはどんなときか?自分自身が外に出入りしていて気分が良いとき。一旦、出たら出っぱなしになってしまうことだってある。

「ふーん、自分のこころの状態そのままが部屋に現れてるね」本音で話せる友人が先日、部屋に来て言った。

部屋にはものが少なく、殺風景、空っぽに近い。良くいえばいつでも引越しできるように。そして、一旦散らかすとどこから手をつけていいかもわからず、旅や、人が来る前に慌てて片付ける始末。といって今まで完璧に片付いたことさえない。完璧主義的傾向のあるわたしは、完璧を目指すだけ目指し、高すぎる理想にたどりつけなくて勝手に挫折して自分にダメレッテルを貼る、を繰り返す。


今日、部屋の片付けをしながら、このnoteを書きながら「自分のことも、部屋のことも自己受容がテーマなのかもね」と別の友人のことばを思い出す。ああ、わたし、自分のこと嫌いって思ってるんだ。

ちょうど、その友人とこの一週間ばかりブームの羽賀ヒカルさんのメールマガジンが届き、紹介された動画をみた。

https://zinja-omairi.com/

「神社は美しい自然のある場所にある。美しい自然の背景にある莫大なエネルギーを授かりにいくのが神社参拝。(中略)わたしたち一門はいい空気をつくる修行をしている(中略)これは量子力学の世界でもいわれているけれど人間の想念や思いが現実に反映される」

気が良い場所に行くからその影響を受ける、だけではなかった。ちゃんと動画でも言っている。「自分の内側が外側に現れる」と。まさにRAS (Release Awakening System) の世界。

思いがけず書きはじめた今日のnote。書いているうちに起こったできごと、そして気づき。不用品も処分して気持ちもすっきりしてきた。今の部屋にずっと長くはいないかもしれない。けれど今ここに在ることをすべてのつながりに感謝して、この場を大切にしていこう。やっとそう思えた。

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