サンショウウオの四十九日

{読書の小窓}
二人の成人式の日、父から父が産まれたときのことを語ってくれた。


叔父が生まれて6ヶ月健診の時、叔父は、低栄養状態で手足と頭がひどく痩せて腹がふくらんで虚弱児であった。医者は,胃カメラを撮った。”おかーさんこちらへ”と呼ばれたレントゲン室には数人の医者が頭を突き寄せてフイルムを覗き込んでていた。医者は、”お子さんです”と言う。母は、なんのことか分らず医者からワケを聞いてもしばらく納得が得られなかった。外科医が,手術して無事にお腹の子は取り出された。その子が父であった。
「胎児内胎児」医者から出産証明書を渡され市役所に届けたが受け付けてくれない。出産後2週間以上を経過していることから。
結局,医者の診断書、レントゲン写真、「胎児内胎児」の医者の描いた絵と裁判所の書類を揃えて出生届は受理された。
先に生まれていた叔父が,兄、勝彦で、勝彦から生まれた弟、若彦が二人の父親である。


平塚の実家から父の運転で藤沢のマンションに着いた。杏が、叔父さんのこと久しぶりに思い出した。と言いながら浴室で熱めのシャワーを浴びた。
鏡に一体の人間が映っている。一体だけど一人ではない。双子の姉妹で全てがくっついている結合性双生児である。右はなで肩、左はいかり肩。普通より骨格的に幅も厚みもある胴体には二人分が詰まっている。全てがくっついていた。顔面も、違う半顔が真っ二つになって少しずれてくっついている。頭も胸も腹も全てがくっついて生まれ傍から見れば一人に見える。右半身が瞬、左半身が杏。1体だけど1人ではない。姉が杏、妹が瞬。
母から携帯で勝彦叔父が亡くなったと言ってきた。
入浴中に生理になり浴槽の中が真っ赤になった。二人が同じ相手を好きになることはない。膣が一つしかないから性行為も不可能だ。子どもも産めない。


バイトは、パン工場でラインに乗って流れてくる不良品のパンを選り分ける仕事だった。二人で能率良くやってもバイト代は一人分しかもらえなかった。


叔父の葬儀に休暇を取って岡山に行くこととなった。杏の思考と私(瞬)の行動が異なる。彼女の自らの意思により行動した物理的体験が私の主体的意識的体験になる。新幹線は、岡山に着いた。迎えにきていた従姉妹の彩花とその夫の克樹の車で直接葬儀場に向かう途中、車でこちらに向かっていた父から連絡が入った。渋滞に巻き込まれたので斎場には間に合わないから焼却場に直行すると言ってきた。父が焼却場に着いたときには叔父は焼かれる寸前であった。祖母が、弟ですから一目でいいから顔を見せてやってくださいと係員に頼んだがお棺の蓋は固く打ち付けられていて開けることは出来なかった。時間ですとベルトコンベアーに乗ったお棺は焼却炉へと滑り込んでいった。
瞬は、待合室のソファに座って居眠りをしていた。夢の中で高校時代に校外学習で行った平塚の世界の民族展館にいた。館長の説明は、一枚の陰陽図の中にはレーザーポイントの先に黒いサンショウウオと白いサンショウウオが追いかけっこしていた。陰陽魚と言い陽中陰、陰中陽と呼ばれ陽極に回れば陰となり陰極を回れば陽となる。黒と白が一つの円を成しており相補相克を表し補い合い競い合うということを表している。杏が黒いサンショウウオで瞬が白いいサンショウウオ、陰陽魚、二人は二つの人格、二重人格ではなく独立した平行人格あるいは、同時人格だった。二人の間に狭まっている薄い膜に怯え、薄っぺらな隔たりが内蔵、感覚も記憶も跨いで行き来している。この薄っぺらな隔たりが壊れたらどうなる。


やがて收骨室への集合の声で瞬は、ソフアーから立ち上がった。叔父の骨を箸渡ししながら自分たちの死んだときのことを想像してみた。
係員が骨を骨壺に収め従姉妹の採花に渡した。父親の骨壺を持って收骨室を先頭に出て行った。


葬儀も終わり、祖母が、今度は、四十九日の納骨でと言って京都駅で新幹線を降りた。母も杏も寝入っていた。窓のシェードを上げると相模湾が見えた。青い海を眺めながら自分たちが死んだ時一人の死亡と扱われて一枚の死亡診断書で出してくれていい。一つの骨だから熱海の沖に散骨されるのもいいかもしれぬ。


四十九日は晴れていた。祖父母、叔父の妻、美和さん、彩花夫婦、私たちは僧の読経に手を合せた。納骨が終わった。今晩は祖父母の家で泊まることになった。
二階の一室に寝具が用意された。そこは、叔父の書斎であったため哲学や宗教の書籍が段ボールに詰め込んだままになっていた。
祖母が水炊きが出来たから晩飯を食べようと階段から顔を覗かせて私たちを呼んだ。扁桃腺が腫れて痛く熱っぽかった。杏はビール飲んだ。食事が終わって二人は二階に上がった。杏が、叔父の書物の一冊を読んでいる。私は、酔いと熱っぽさでうつらうつらしていた。
「・・・・この身体が朽ち果てる時、あなたたちは私の死を嘆くだう・・・
あなたたちが死んでる私を見つめるように私もまたその遺体をみつめるだろう。死は主観的に体験することができない客観的な事実である。死にゆく過程やその苦しみは体験できても死そのものは体験することはできない。・・・
あなた方が真に恐れているのは意識の死である。・・・」
杏が読んでる宗教書の一節のように聞こえてきた。


五歳のある瞬間に杏が私を見つけ出した。それ以降、杏と意識は繋がっていなくても一つの身体で思考も感情も感覚も共有し、それらが意識と意識の間に介在した。
杏は、喉風邪が悪化して熱感で背中が汗ばみ胸元に汗じみができ臭いもおかしい。子どもの頃の瞬のわがままと私への父母の扱いを思い出していた。
手鏡で喉にペンライトを照らしてちょっと腫れていると声を出すと喉が痛んだ。「誰にでもある、思春期特有の自立に対する強い憧れ。・・・自分だけの体を持って初めて自立出来るのだという幼い思いこみに繋がった。・・」
水を一杯飲んで二階へ戻り布団に転がった。目を閉じて幼稚園の時を思い出していた。黄色い帽子を被って裏手の畑での芋掘り場面だった。小さな体に熱が溢れた。スコップで小さなジャガイモを掘り出した。日射しにさらされて熱が首筋から背中や腰にまで降りてきた。日陰を求めて畑から抜け出して裏山の林に入って行った。池があった。
池には、青々とした藻が絡みつき揺れていた。木の棒で絡みついている藻を引き剥がそうとしてもすぐに元に戻って絡みついた。何度も何度も棒で引き離すと小さいザリガニが見えた。ザリガニは引き離した藻の上をハサミを振り上げて歩き出した。ザリガニを目で追っていると真後ろから体を大きな舌で舐められ凝視されて振り向けもせず体が硬直し息も出来ず二人がかりで恐怖と悲鳴を抑えた。やがてカサコソ音を立て後ろを何かが通り過ぎたので安堵し鳥肌が引いていった。(杏と瞬との一体感とそこから抜け出そうと藻掻く自立心か)
今生まれたような心地がして目が覚めた。喉の痛みで生まれ変わった心地は消えた。手鏡で喉を覗くと両側の扁桃腺が腫れていた。病院へ行こう。
台所にいた祖母が”あんちゃんどうした?”次に”瞬”母が声をかける。父がパジャマ姿で台所に顔を出して口を開けさせて”膿がたまってる。吸い出してもらわないと”車庫からエンジン音が聞こえた。保険証を探してると”一番上のガードポケット”と杏が頭で呟いた。

結合性双生児は、おおよそ5万~20万出生あたり一組の割合で発生すると言われている。中東及びアフリカにて発生率が高い。原因は分らない。
受精後10日以内に受精卵が分裂した場合、完全に分離した双生児が生まれる。しかし、13日目以降に受精卵が分裂が起きた場合、部分的な分離によって結合体がが生じる。結合部位により胸結合体、腎結合体、頭蓋結合体が生じると言われている。
一つの体、一つの心臓、しかし二つ心。意見が分かれることもしょっちゅあると思う。その時どうするんだろう?
どちらかと言うと深刻に考えている瞬、どんどん行動に移していく杏という印象がある。日々の生活の中で二つに意見の選択を迫られていると行動に支障をきたすことにもなる。
しかし、日常はあまり変わることなく普通の生活を送っている。
<どうなっているのか考えても考えても一心一体の存在と二心一体の存在を理解するのはかなり困難である事が分った>
「サンショウウオの四十九日」朝比奈秋
第171回芥川賞受賞作品



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