シンデレラガールズのアニメが僕の東京への憧れの全てだった
2015年に放送されたアニメ「アイドルマスター シンデレラガールズ」のBDボックスが発売されると聞きました。
はっきり言って出来の良くないアニメでしたけど、たったひとつの理由で今でも僕の記憶に残っている作品です。
「シンデレラガールズ」、ひいては「アイドルマスター」というコンテンツに対して思い入れは無いんです。キャラクターや世界観が僕の心を捉えたのでもなかった。だけど、今でも存在感をもって僕のなかに残っている。
そのたったひとつの理由というのは、この作品が東京という街を、東京のライブ会場を描いていたことです。
名古屋に住む僕が抱いていた、東京への憧れ
アニメ「アイドルマスター シンデレラガールズ」(以下「シンデレラガールズ」)の第1話は、コンサートの場面から始まります。ナレーションに重ねて、階段を転げ落ちたガラスの靴をプロデューサーが拾う描写が、作品を象徴していて印象的でした。
24話で再び登場し、憧れの場所「シンデレラ城」のような役割を持つこのコンサートホールは、パシフィコ横浜 国立大ホールがモデルになっています。
テレビ放送当時の僕は名古屋に住んでいる高校生で、横浜にあるパシフィコ横浜には行ったことがありませんでした。名古屋ではナゴヤドーム、日本ガイシホール、名古屋国際会議場 センチュリーホール、日本特殊陶業市民会館 フォレストホール、愛知県芸術劇場、Zepp Nagoya、ダイアモンドホールと、大きめのコンサートホール・ライブハウスは一通り行ったことがあったけれど、遠征はしたことがなかった。
AKB48のアルバムに「1830m」というのがあって、このタイトルは秋葉原にあるAKB48劇場から東京ドームまでの直線距離に由来しています。秋葉原も東京ドームも馴染みがなかった僕にとって、この距離に乗っかっているストーリーは別世界の出来事でした。
この例はももいろクローバーの代々木公園とNHKホールのエピソードにも置き換えられるでしょう。どちらも、アイドルにまつわるストーリーが土地との結びつきを持っているという話です。
そうしたことがあるので、アイドルが好きだった僕が東京という場所、さらには東京のライブ会場に憧れを持つのは当然のことでした。
誰もが抱く東京への憧れは、僕にもありました。僕の場合、それは東京・関東のライブ会場への憧れと重なっていたのです。
リアルな東京がアイドルの実在性を演出する
とはいえ、当時の僕は東京・関東のライブ会場なんて全然知りませんでした。そんな僕が東京のライブハウス・コンサートホールの具体的なイメージを持つようになったのは「シンデレラガールズ」を見たからでした。
今作には、実在する数々のライブハウス・コンサートホールが登場します。第3話で登場するのは大阪のオリックス劇場ですが、物語は東京を舞台に進行するので、関東のライブ会場がほとんどです。
作中でシンデレラプロジェクトは始まって数年ということで、大手事務所といえどキャパシティはライブアイドルの域を出ないものが多く、それがリアリティを演出していました。
第6話のラブライカ・ニュージェネレーションズのリリースイベントは池袋・サンシャインシティのイベントスペース、第10話で凸レーションが営業に行ったのが原宿です。第14話では神崎蘭子がお台場・ダイバーシティ東京プラザ フェスティバル広場でライブを行っていました。駆け出しのアイドルがリリイベを行うロケーションとして、とても自然。
「シンデレラガールズ」は、架空のアイドルたちを現実に存在する東京という街で活動させることによって、実在感を演出しています。さらには、ライブアイドル(地下アイドル)が大量に出現し、アイドル戦国時代と称された2010年代の現実社会を投影していると言ってもいいでしょう。
キャラクターの実在性を高めるために描写された東京の街とライブ会場でしたが、現実のアイドルが好きだった僕にとっては、そこで描かれた場所こそがアイドル戦国時代の投影であり、憧れになっていきました。
それが東京への憧れの全てだった
進学を機に、僕は関東のライブ会場にも気軽に行けるようになりました。そして数年経って「シンデレラガールズ」を見返したとき、僕はそこに登場するライブ会場のモデルがどこなのか、一目で分かるようになっていました。
第19話で*(アスタリスク)がライブをしたサイエンスホールも、なつきちがだりーなを招待した新宿BLAZEも、第24話の山野ホールも、行ったことがあるからすぐに分かりました。
そのときようやく「東京への憧れが消えた」と思いました。僕にとって、シンデレラガールズが描いた東京はもうフィクションの土地ではなくなっていたのです。
「シンデレラガールズ」が喚起した東京のライブ会場への憧れが、僕の東京への憧れの全てでした。僕にとっての「東京」は山野ホールであり、新宿BLAZEであり、サイエンスホールでした。
僕はもう、新宿駅から山野ホールに向かう道のりに冬はイルミネーションがあるのを知っているし、新宿BLAZEの記憶にはトー横の雰囲気が付随している。真夏にサイエンスホールへ向かうときのうだるような暑さも覚えている。
身体性をともなって、それがフィクションではなく体験になったとき、憧れは消えて無くなっていました。
タイトルの話はここまでです。ですがもう少しだけ「『シンデレラガールズ』とライブ会場」というテーマに関連した話をしようと思います。
「ユニットライブ」について思うこと
「アイドルマスター シンデレラガールズ」は、2024年に「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS UNIT LIVE TOUR ConnecTrip!」というライブツアーを行うと発表しました。これは数人のキャラクターからなるユニットをテーマにしたライブで、各公演で異なるユニットが出演するとのこと。
僕はこれを聞いたとき、とても良いコンセプトだと思いました。というか、以前からこれをやるべきだと思っていました。最大でもキャパ2800と比較的コンパクトな会場で、少人数のユニットによって行われるライブ。
僕は、広すぎる会場ではアイドルのパフォーマンスは十分に届かないと思っています。ウインクの射程は15メートルしかないのです。30メートルも離れれば、表情のニュアンスはもう何も受け取れなくなります。ダンスにしても、遠くなれば当然その巧拙は判別が付きづらくなります。
ライブの時間も、長ければ良いってものではないです。馬鹿みたいに多い出演者に馬鹿みたいに多い曲数を一つのライブに詰め込むことが正解とは思えません。出演者を細かく分けて、回数を多くやるのがベストなはず。
でも、評判悪いみたいですね、この企画。このコンテンツのファンは、体験の質が落ちたとしても実際に現地に行けることを何より重視するようです。正直、それってどうなの?と思います。
断っておくと、僕は「アイドルマスター シンデレラガールズ」のファンではありません。ライブに行ったことはないし、今後も行く可能性は低い。
アニメだけは見たことがある、そんな人間からすると、ドームクラスの会場で豆粒を見ることしかできないのは、幸せとは思えないのです。好きなキャラクターにフォーカスして、現実的にライブが届く距離で見れたほうがいいに決まっている。
リアルのライブイベントをドーム・アリーナクラスの大きい会場でしか行わないのでは、ライブアイドル的なリアリティを追求したアニメ「シンデレラガールズ」が描いたものを嘘にしてしまう、という言い方もできると思います。
アニメ第15話の高垣楓の回は、このシリーズで数少ない名エピソードでした。楓さんはテレビの仕事を蹴ってでも小さな会場でファンを前にしてライブをすることを選び、アイドルはファンのために存在するのだと教えてくれます。
僕はこの回を見て、この価値観はとても時代を反映していると思いました。言い換えれば、これは非常にAKB的です。
AKB48は国民的な人気を得たアイドルで、一時はドームツアーを行うほどでしたが、どれだけ人気でもキャパ200程度の専用劇場でほぼ毎日ライブを行っていました。もちろん、テレビに出るような人気メンバーはほとんど劇場に立ちません。それでも、生誕記念公演や卒業公演では人気メンバーも必ず劇場のステージに立ちます。大きな会場で卒業コンサートを行っても、それとは別に小さな劇場で卒業公演を行うのです。このキャパシティのダイナミクスが、AKB48の特徴の一つであったことは間違いないでしょう。
アニメの高垣楓回も、キャパシティのダイナミクスの話です。どれだけ遠い存在になったとしても、ちゃんとライブが届く距離を大切にしていることの尊さを描いています。このエピソードは時代を捉えながら、普遍的なアイドルの価値を見出すことに成功しています。
「シンデレラガールズ」のライブが大きな場所でしか開催されないのは、このエピソードを嘘にしてしまいます。高垣楓は遠くに行ってしまって、二度と戻ってこない。
「もう今の『シンデレラガールズ』というコンテンツはそういう価値観を持っていない」という主張は筋が悪いでしょう。昨年放送されたアニメ「アイドルマスター シンデレラガールズ U149」ではLiPPSがTOKYO DOME CITY HALLでライブをするシーンがありました。依然として、ちゃんとアイドルのライブが届く距離の箱です。
僕としては、アニメでこのシーンがあるなら現実でもLiPPSのライブをTDCホールで観たいと思ってしまいます。
キャラクターの実在性を高めるために現実に存在する場所を参照したのなら、その場所で現実のライブを行わないのは不誠実ではないでしょうか。その不誠実な態度は、作品が参照した現実と我々が生きている現実とを乖離させ、かえって実在性を損なわせるでしょう。
僕の主張は、作品が東京という街やそこにある特定のライブ会場に紐づいているならば、それが現実にも還元されるべきというものです。また、作品内で示された価値観にしたがって、キャパシティのダイナミクスが担保されるべきです。
まあ、これはファンではない人間の戯言に過ぎません。そもそも、この意見がファンの大多数と相反するというところが、僕が「シンデレラガールズ」にハマらなかった所以なのでしょう。ただ、ちょっとだけ思ったことを書いてみたのでした。
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