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記憶に耳を澄ませてみたら
かつて20代の頃に友人たちと共同生活(今でいうシェアハウス)をしていた街、阿佐ヶ谷にて聞く人の収録を行いました。
待ち合わせの30分ほど前に到着して、ぐるっと街をひとまわり。かつて住んでいた家、よく行った飲み屋、喫茶店がそのままあったりして、いわゆる「エモい」状態が身体に沸き上がり。
その場所に来るまですっかり忘れていたことを、場所が覚えている。もう会うこともない誰かしらとの時間が蘇ってくる。
住んでいたのは20年も前で、でも街のいたるところに記憶が宿っており、ただ歩きながら耳を澄ませながら街に身を浸してみるだけで、寂しさや取り戻せないものの欠片や幸福だった時間たちが次々と身体を通り過ぎていき、今の日常では感じることが少ない「記憶との対話」をする時間が訪れたのでした。
それは良し悪しではなく「確かにそこにあった」感覚で、多感な時期を過ごした場所にかつての仲間たちはもういない。嫌なこともたくさんあっただろうけどすっかり忘れていて、楽しかった、けれどもうその時間は戻ってくることは無い、というような、たまにそういう状態に身を置いてみるのは良いことに思われ、そこから再び日々をはじめてみることができるっていうのは幸福なことです。