小川洋子さん講演「小説の生まれる場所」 人が孤独を愛するワケと、「芸術」の起源の話。
作家の小川洋子さんの「小説の生まれる場所」と題した講演で印象的な話一つ目。
生物学者・岡ノ谷一夫さんの『「つながり」の進化生物学』をとりあげた話の中で。
実験ケージで飼われたジュウシマツの話に心をさらわれる。
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ジュウシマツのオス鳥のさえずりはメスをひきつけるためのものだけど、本能的に自然に鳴けるようになるのではありません。
親や仲間のさえずりを耳にせずに成長したジュウシマツは決して鳴くことはできないのです。
子孫を残すという本能レベルの行為なのに、それを親や仲間から「後天的」に学んで知る。本能というものにそぐわないこの不安定さがなんとも不思議です。
さて、ヒヤリングが済んだオスは今度、自分が鳴く番です。
彼らは一生懸命、「練習」をするのだそうです。それぞれ、日々技術を磨いて向上を目指します。結果、オスは一羽一羽違った歌を歌うようになります。
そして彼らは、いざ気に入ったメスが現れた時のために、自分の歌のレベルが落ちていないか、時々確かめます。メスを目にしたからと鳴くわけではないのですね。その日のために力を維持しようと日々努力を重ねるのです。
ケージで飼われている彼らは、自分の声がよく聞こえるための「静かな時間」を奪いあっています。一人になれるケージの隅は特等席。彼らは、孤独を愛する鳥なのです。
ケージにいる彼らの中で一羽、最も精緻で複雑極致、見事な歌を会得したオスがいました。観察していると、この彼の態度がおかしい。
彼は、どんなメスが現れても、メスの前では一切鳴かなくなった。ケージの隅で一人になったときにしか鳴かなくなったというのです。
彼にとっては、もはや、さえずりの出来そのものにしか関心がない。メスを得るためという生殖目的が失われてしまっている。いうなれば、歌そのものの美の追求のために歌っている。
これを知ったとき私は気づきました。
これって芸術活動そのものじゃないか。目的性がないという芸術の起源がこんなところにある。
努力したり、孤独を味わったり、芸術を生みだしたり。
人間だけの特権だと思っていたことがどれもジュウシマツにも見出すことができるのです。
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小川さんは、動物と人間の違いは「言葉」を持っているかどうかという視点で語りを続けます。
そして、言葉の本質的な役割について、作家の存在意義を揺るがすような衝撃の指摘をこの本に見つけます。
(以下に続く)
■小川洋子「言葉が存在しない場所で生まれるのが小説」。そこは言葉以前にあったはずの自分の居場所。
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