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すべてを自然界に溶かし込む 国立西洋美術館 「モネ 睡蓮のとき」感想
国立西洋美術館の『モネ 睡蓮のとき』について、睡蓮で有名な彼の、自然の描き方に注目して感想を書いていこうと思う。
展覧会は40代後半から晩年の80歳前後の作品まで、概ね順に並んでいた。最初に並ぶのは、各地の風景画がメインだった。多くの作品で共通しているのは水辺の景色であることで、水に反射する風景や建物がどのように見えるかも一つのテーマであるように思う。
風景の画像を加工するとして、「印象派加工」とでもいえるようなフィルターをかけてあらゆる風景が描かれてきた。モネはそこから一歩進んで、水に写っているというフィルターの追加を模索していたのではないかと感じた。
『チャリングクロス駅』の作品は、水辺であることに加えて、霧の中の風景が描かれており、それもまた新たなフィルターの探究であるように感じた。
加えて、単に水面が鏡のように反射しているのではなく、水底という下地があることも踏まえた表現となっていた。
その後に展示されているのは彼の庭園をモチーフに描かれたお馴染みの睡蓮を中心とした絵画たちだった。睡蓮だけでなく藤やアイリスなどの作品もあったが、いずれも共通していたのは自然のものだけが描かれていることだと思った。彼が制作している現場である太鼓橋でさえ、全く姿を見せない。加えて、上部にある藤は私の真横にあるように感じたし、下部でも終わりなく続く水と蓮は私の足元まで続いているようになっている。それらの効果によって、これらの絵画で見ている私たちは水の上、あるいは水で包まれているような感じがした。
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モネ自身が楕円形の部屋に睡蓮の絵を並べる装飾画に意欲的に取り組んだのも、この意図に近いものがあるのではないかと思った。
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絵画の世界観が平面を飛び出して我々の世界を飲み込もうとしてるんじゃないか、そんなことまで考えさせる作品だった。
最後に展示されていた作品たちは、彼の晩年の作品たちであった。印象的だったのは、自然以外の橋や建物がモチーフとなって描かれていたというところ。
視力のの衰えによって抽象画のようになっているとも評価されるこの時期の絵画は、私には橋や邸宅のような人工物も自然に溶かし込んで、自然の文法で描こうという試みのように感じた。
展覧会の流れとして
人工物と自然をそれぞれの文法で描く→自然だけ描く→人工物と自然をどちらも自然の文法で描く
というような変遷を感じた。
そんな自然の描き方と共に今回のモネ展を眺めるのもいいかもしれない。それでは。