「粕谷栄市、世界の構造」
一通の手紙が届いていたが気がつくのが遅れてしまった。
内容は其の人が詩人粕谷栄市の企画展を見たことに際し、僕が昔作った散文集を思い出し評価してくださっている非常に嬉しいものであった。
そういうわけで茨城は古河市の古河文学館に行った。車で1時間ほど川沿いの長閑な道を走らせると石畳の美しい区画に文学館や博物館があり、今日の晴天も手伝い初めて来た場所であったが幼い記憶の中に同じ光を浴びたことのあるような心地であった。
粕谷栄市の第一詩集である『世界の構造』が展示されていてどうにも見覚えがあるなと思っていたら、そういえば少し前に松浦寿輝のエッセイ集のなかにこの本が現代詩屈指の傑作であると言及されており、それならばともう絶版になって久しいこの本を手に入れようと色々調べていたのだった。
壁に展示されていた詩「世界の構造」は不思議な作品だった。『世界の構造』という本を買った著者(?)がその内容を説明するのだが、そこに書いてあるのは豚の飼育の仕方であり、また稚拙な挿絵が1ページごとに差し挟まれている。著者はこの本を愛読している、というような内容で、不思議と居心地の良い不条理が表現されているように思った。
そのあとに隣にある歴史博物館に入り、古河の歴史の厚さに驚く。奥原晴湖の南画などが充実しており、相変わらず南画は難しいなとか思いながら鑑賞していると、70歳くらいの男性に話しかけられた。この方がなかなか郷土愛の強い(強すぎる)人で、ものすごい情報量の古河トリビアを怒涛の如く開陳された。
時間も時間だったのでおいとましようとしたら次の目的地にも「あ、私も行きますよ」と言われてしまいガイド付きの贅沢ツアーと洒落込むところだったが丁重にお断りした。のちに係員の方に心配されてしまった。どうやらここに現る名物おじさんであったらしい。
それから篆刻美術館に行き、渋すぎる展示物を見た。秦代の封泥?がかわいくコレクション欲をくすぐられる。封泥とは木簡などを封印しまたそこに文字を篆刻することで所在を記す役割を担ったものであるという。
帰り道、渡良瀬遊水地のそばをぐるりと通る。足尾鉱毒を洪水の問題であるとその論点を巧みにずらし、鉱山そのものをどうこうするのではなく、治水によって田中正造らの運動を鎮静化しようとした政府が作った人工の池である。そこには谷中村が沈んでいる。正造は死ぬまでこの村に留まりついにその地に倒れたとき、持っていたものは渡良瀬の石が数個、ちり紙、マタイ伝だけであった。半年くらい前に佐野の記念館でこれらの実物を見たが静かな迫力があった。
郷里の英雄であるので田中正造は尊敬しているが、渋沢栄一が新紙幣の顔なのは正造派としてはいただけない。渋沢栄一は足尾銅山の運営に深く関わっている人物であるのだ。一万円札を田中正造にしてくれたら良かったのに、とありえぬことを願いつつ本人はそんなことを望んではいないかとも思う。
そんな、田中正造への殊勝な気持ちも空腹には勝てず佐野ラーメンを食べて街に帰った。アトリエに行き制作をし、風呂に入り今に至る。
『世界の構造』というタイトルで豚の飼育法が書かれているというイメージの面白みが頭から離れない。正確にいえば、途中古河を愛するあまり会う人すべてに怒涛の声かけを行なっているおじさんの強烈さに詩の面白みがどこかへ飛んでいってしまった時間もあったが、一日の終わり、振り返ってみれば今日印象深かったのはやはり『世界の構造』のイメージであった。
ヴォイニッチ手稿という、暗号で書かれた本がある。ただの悪戯という説もあるらしいが、この未だ解読されていない本には、様々の植物や、不思議な人間の絵が描かれている。錬金術についての本なのか、秘薬についての本なのか、ともあれこの手稿もまた、世界の構造についての秘密が書かれているようにも見えるし、まったく取るに足らない些細なことについての本のようにも見える。
絵画や詩もまた、そのような二面性を持つだろう。「世界の構造」という詩が『世界の構造』という書物を登場させて語らせていることは案外そんなことかもしれない。
とにかく、この粕谷栄市の第一詩集をなんとか手に入れなければ。