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日記「夜、イカ、横滑り」

朝、実家で作業をしてから仕事に行き、帰ってきてからまた実家に寄る。見込みが甘く、作業が全く終わらなかった。昨日に引き続き書類仕事だが、目的のある文章を書くと、日記のような文章が書けなくなることに気がつく。同じ日本語を使用した文章だが、そこに働いているメカニズムは全く違うものであるらしい。そして、いかに僕が普段意味のあることを考えていないかもまた実感した。イカって可愛いな、とか普段はそんなことしか考えていない。かといってイカのことは全く詳しくないのだ。
すこし前に水族館で見たコブシメという美味しそうな名前のイカが可愛かった。コブシメのフィギュアが無いかとネットで探してみたが、今はもう売っていないガチャガチャの一つにあるのみで、大層なプレミア価格がついていた。
プルミエなどの粘土で自分で作ろうかと思ったが、いかんせん僕には立体造形のノウハウもセンスもあまり無い。むかし粘土で作り石膏取りした女性の首像を実家に置いておいたら、いつかの地震で落ちて壊れてしまったことがある。うちには石膏像がいくつかあるのだが、割れた像が僕の作であることを知らない母親に「なんか石膏像が割れてる、形の甘いやつ」と厳しいジャッジを食らったこともある。

と、こんな具合に思考が横滑りしていって、今しがた取り組んでいたやらなければいけないことからどんどんずれていってしまう。横滑りといえば、3人以上で会話しているときなどもそうで、例えば徳川家康の話をしていたとして、僕がその時何を思うかといえば、(徳川家康って天ぷらにあたって死んだんだっけ)というところからはじまり(そういえば地元に天ぷらの名店があるんだよな)とスライドし、実際にその思考の道筋を説明せずに「ところで天ぷら屋の美味しいところが近くにあって〜」と、みんなが徳川家康の話をしていたところに急に天ぷらの話をぶちこんでしまうのであった。

そんなこんなで、やっと必要な書類を作成し終える。家族の力を全力で借りてなんとか仕上がった。

今日は雨が降っていて、いつものように天気予報を全く見ずに出かけたものだから通気性を極限まで追求したようなスカスカの靴を履いていってしまい、足がびしょびしょになった。
親が言うには、僕は幼い頃から砂場遊びなどがあまり好きではなかったらしい。うっすら記憶があるが、砂場の奥にある濡れた砂で手が汚れるのが嫌いだった。
乾いたもので汚れる分にはまったく構わないのだけど、濡れたもので汚れるのは耐え難い。僕の部屋もアトリエも散らかっているが、水回りは割と掃除する。
昔から胃が弱いのだが、それと濡れたものが嫌いなことは関係あるだろうか。食中毒などの危険を避けるために本能的に湿っているものを避けているような気もする。冷めたお弁当、漬け物、発酵食品があまり好きではないのも胃が弱いということと関係している気がしてならない。

数年前に書いた散文に「砂場の奥の湿った場所は、夜のインディゴの色合いと似ている、しかし手を引き抜いて現れた汚れた茶色にがっかりするのであった」というような一節がある。だいぶ違うかもしれないが、おおよそこんな感じだ。
いま、襲いくる強烈な眠気に抗ってこの日記を書いているが、数十秒に一度眼窩の裏に直撃するこの眠気のイメージこそ、砂場の奥のインディゴブルーであるような気がする。
夜の濃紺のような積層した暗さのイメージがまず自らの頭の中に生じ、それが徐々に外部に漏れ出て夜と同化し、やがて眠りに落ちる。そして夢の中で幼少期にたしかに指先に感じたあの色を思い出し、その感覚を逃すまいと躍起になるも、目が覚めてしまうと明るく透明な光によって消失してしまう。

夜に起きている出来事もまた、ある一つの横滑りなのかもしれない。

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