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梅原幸雄氏の記事読んだ

昨日も天神山古墳を掠めて隣町へと向かった。
かつて神のように崇められていたであろう権力者が今や荒れた丘にしか見えぬものの下に眠っていて、あるいはその手前で通り過ぎたいくつかの神社にも、僕が名も聞いたこともない神々が祀られている。

そう考えると神々から地理的には近い場所にいながら、彼らからかくも隔てられたときを生きて久しい。神々の与うる最も苛烈な罰は、地獄における酸鼻を極める責苦ではなく、彼らに忘らるることであるという。

しかし例えば原罪のみを身に宿した童子が亡くなるとき、辺獄は永遠の苦しみに満ちた場所ではなく、逆に苦痛の欠落した穏やかものになるとアガンベンはいう。その場合、神々が彼らを忘れるのではなく、神々の方が忘却の憂き目にあう。

ラーメンを食べに隣街まで行ったこの日の午後の日差しに、神々を忘れた辺獄を思う。

アトリエで制作中にネットを見たら学部時代教わっていた大学の教授がある記事に取材されていた。


僕はこの梅原幸雄先生にかつて卒制を講評されたときの言葉をよく覚えている。
余白を大きく取った僕の絵の画面に対して曰く「私もいつも絵を描くときに余白を残したいと思って描いている。でも最後には残んないんだ」と。
言外に「だから未熟なお前が余白を残すなんて100年早い」みたいな含みを感じたので「それは梅ちゃんに能力がないからだろ、余白残したいなら残せよ」と思ったものであった。
だが一方で、未だ道の途上にある画家という自覚から発せられた言葉は、他の教授の講評よりも印象に残ったのもまた確かである。

記事の後半で梅原先生は、「瞬く間に『盗作作家』という不名誉な評価が広まり、私が40年かけて築き上げてきたキャリアは崩壊しました。予定していた展覧会は中止され、誰も絵を買ってくれなくなり、依頼されることも無くなった。何より私自身が絵を描く気力を失ってしまいました」と嘆く。

僕の卒制の講評時に見せた途上の画家としての矜持が嘘でないならば、院展の理事を解任され絵が売れなくなったくらいで気力を失うなと言いたい。それが分からず屋の芸大教授としてふんぞり返ってきた「重鎮」の責任だろう、と。(本当に当時の芸大は狭量で、梅ちゃんではないが、他の院展の教授は抽象画を描いているだけで講評で一言も何も言ってくれなくなるくらいあからさまだった。僕の絵を前にしかめ面で腕組みをしたまま黙りこくる姿が思い出される。「抽象」というカテゴリーに特にヒステリックな拒否感があったように思う。)

院展理事とかいう下らない意味不明の地位から解き放たれたことはむしろ絵描きとして良いことだろうと思う。そんな立場が一人の絵描きを「ちぢこまった犬」のようにしてしまう。

地位も売上もあまりない僕という人間の立場から、これからの梅原先生を応援しています。

僕のことを知っていたり、日記を読んだりしてくれている人はもうお気づきのことと思うが、僕が(芸大)日本画に対して抱いているものはアンビヴァレントなものだ。
心底くだらない権力ごっこ、政治家ごっこに、叙情的に過ぎる絵がおまけとしてくっついているだけだと普段は吐き捨て意識に上らないようにしているが、いざ今回の記事のようにその考えを実証してしまうような証拠が出てきてしまうと「いや、きっと彼らにも真剣な絵描きとしての矜持があったはずだ」となぜか擁護したくなってしまう。本当はさっさとすべて忘れたほうが僕も遠くまで行かれるのだろうけど。

「異教徒」と幼子が遊ぶ辺獄では、忘却こそがその前提なのだから。


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