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立ち小便器、ブラキオサウルス

一番古い記憶は何かと問われれば、きれぎれになった強風の日の雲のようにそれは散発的に記憶の表層に上ってくるのみであり、おそらく一生それを同定することは叶わないだろう。
しかし、一番昔に見たテレビドラマの記憶はと問われればこれはすぐさま一つの確信のある答えを出すことができる。とは言っても作品名などはわからず、あるワンシーンを描写できるだけだが。
そのシーンとは以下のようなものである。

若き木村拓哉が公園のようなところ、たしか秋めいた景色であったと思うが、そこにある公衆トイレに入っていき、立ち小便器で用を足す。隣の隣あたりにいる男と何やら会話をしていたような気がする。

このシーンを見た僕は、木村拓哉のカッコよさと立ち小便器がどういう訳か混じり合って、立ち小便器ってカッコいいんだとしばらくの間思い込んでいた。そして実家の父のアトリエにはなぜか立ち小便器があり、ほどなくして他の家庭には案外立ち小便器が無いことを知ったこともあいまって、家にある立ち小便器の存在は幼い僕の密かな自慢となった。
今から思うと家に立ち小便器があったといって何なんだという感じではあるが、何よりもそれを誇らしく思っていた期間が存在した。

立ち小便器といえばもう一つ忘れ難い経験があって、数年前の某駅のトイレでのこと。

…と、1000文字ほど、以前僕が駅のトイレを利用していたらそこが実はハッテン場で少しトラブルがあった話を書いたのだけど、書き終えたところで本棚にあったディディエ・エリボン『ランスへの帰郷』が目に入って、ふと書いた文を全部消してしまった。いつかまた書くかもしれないが今日はそんなことなので短い日記(?)になりそうだ。

昨日あったことといえば、隣町にブラキオサウルスを見に行った。化石館と郷土資料館みたいなところに行こうと思ったのだが、月曜休館だったので、近くに何かないかと検索したところブラキオサウルスがいるらしいとのことだったので、車を走らせた。


実物大。目が怖い。

赤ん坊ブラキオサウルスが孵化しているところ。
ブラキオの正面に回ると咆哮してくれるらしいのだが、スピーカーが壊れていたのかジ…ジ…と微かな音を立てるのみであった。

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