日記「ジャワティー、マルコポーロ」
最近ジャワティーレッドにはまっている。ジャワティーホワイトなるものもあるらしいが見たことがない。今日の朝も仕事に行く途中、駅の自販機で買ってしまった。
紅茶よりもどちらかというと緑茶、中国茶派なのだけど、ジャワティーは美味しい。
ジャワティーともう一つ、僕がそらで当てることの出来るというか利き茶できる紅茶があって、それがマリアージュフレールのマルコ・ポーロという紅茶だ。かなり特徴的だから誰しもが飲めば忘れない味ではあるのだけど。
以前、ある人に「頂いた紅茶なんですけど、利き茶してみてください!」と言われ、その時出てきたのがこのマルコ・ポーロだったことがある。
僕は紅茶なんてジャワティーかマルコ・ポーロしかわからないのにそのうちの一つが奇跡的にこのような場面で出てきてくれて、内心すぐにでも答えてしまいたかったがちょっと味わうフリなんかしてみたりして、「これは…マリアージュフレールの…マルコ・ポーロ…ですね?」とか言ったりした。
紅茶に詳しい感じを醸し出せて満足したが、紅茶に詳しい人だと思われたら大変なので「これしかわかんないですよ」と即座に白状した。
こんな感じで、膨大な裾野を持つジャンルのあるほんの一部だけ僕が知っていて、そこがたまたまピンポイントで会話に出るようなことがある。
そのとき物知りな感じを醸し出せるが、隣接するはずの他のことは知らないことが多いので、醸し出すだけで終わることもしばしばある。
少し前の話だがユダヤ教の過越祭(pass over)について「なんか名前がかっこいいな」くらいのテンションで調べていた時期があって、そんな折に上野公園を歩いていたら「過越祭についてお話を聞いてくださいませんか」と女の人に声をかけられた。たまたま調べていたので「出エジプト記ですか?」と思わずドヤ顔をしてしまったが、よくよく考えると結構変な声掛けだなと思い丁重にお断りしてきた。あとから知るところによると韓国の新興宗教らしい。
そのあとにスパイク・リーによる「パス・オーバー(Pass Over)」という舞台映画を見たが、こちらは非常に良かった。舞台というものにあまり造詣が深いわけではないが、銃声がなるたびに中断される会話劇に、映画とは異なる舞台独自のフォームを感じた。ベケットの『ゴドーを待ちながら』を下敷きにし、モーゼという名の黒人主人公が無事にこの街をパスオーバーすることを望む話であったような記憶。
閑話休題。
マルコ・ポーロというお茶は紅茶をベースにオリエンタルな花や果物のフレーバーがふんだんに使われた贅沢なお茶だ。マリアージュフレールの看板商品でもある。
マルコ・ポーロという名が示すとおり、東方のエッセンスが十二分に用いられているにもかかわらず、軸足は西洋の紅茶にある。
ただヴェネツィアの人であったらしいから、フランス発祥であるマリアージュフレールの商品であるならば印象派とかからもじった方がよかったのではないかと思わないでもない。と考えたが(紅茶の)マルコポーロには日本の要素はあまりない。イメージされているのは中国とチベットの花や果物であるらしい。それならばジパングに結局は辿り着かなかったマルコ・ポーロの名がやはりふさわしいのかもしれない。