東日本で一番大きな古墳
昨日は東日本で一番大きな古墳に行ってきた。
前方後円墳で、どうやらこの地方を支配していた大変な権力者が埋葬されていたらしい。ここから見つかった石棺はヤマト王権の大王を葬るときに使われたものと同じようなものらしく、そのことからもここに祀られている人物の権力の大きさがうかがわれるという。
それにしてはなかなかにワイルドな場所であった。観光地にしようとかそんな軟弱な考えを微塵も感じさせない放置のされ具合、いつかの強風か何かで倒れた木は放っておかれ、落ち葉は積もるままとなっている。
このような場所を妻と二人でハードコアと呼んでいる。まず人がいないことが重要で、人のいなさゆえに手入れが行き届かない植物などが独特の雰囲気を醸し出している。ちょっと前の日記に書いた荒れた誰も使わない峠道、台風で足場と看板が壊れ、さらに銅板が窃盗団に盗まれてしまった巨石郡など、この辺りにはハードコアなプレイスがたくさんある。もうちょっと人が多くくるような場所であったら必ず修繕されてしまうような部分が、予算の問題かそのほかの事情であるかはわからないが放置されたままになっていて、有名な観光スポットでは決して感じることのない感覚をもたらす。
もはや自然に半分ほど回帰しているような場所の、この独特にハードコアな感覚は一体なんだろう。おそらく自然の厳しさという点では遥かに上をいく険しい山々にはハードコアの感覚はないだろう。
一度は人間の手が入ったにもかかわらず結局は植物の力が打ち勝ち、人間を再び寄せ付けぬようになったその経緯が独特のハードコアを醸成するのだろう。
そういう意味ではチェルノブイリ原発事故があったプリピャチの街はハードコアの極みなのかもしれない。HBOが作ったヨハン・レンク監督のドラマ『チェルノブイリ』は事故を扱った傑作だが、事故後のプリピャチからは想像し難い、美しく整然としていたプリピャチの豊かな暮らしをその冒頭で垣間見ることができる。(ヨハン・レンクは最近『スペースマン』という映画を作っていていまいち評判が芳しくないが僕は結構好きだった。宇宙クモが哲学的なことを語りかけてくる話。なんだそりゃ)
昨日は古墳の近くにある巨大なイオンにも行ったが、いつかここもハードコアプレイスになるのだろうか。
こうした巨大モールは目的もなく気ままに歩く遊歩者(フラヌール)を保護し、彼ら(僕ら)が突飛なところにはみ出し、接続してしまわないようにしている。ベンヤミンのいうように、デパートのような施設は遊歩者のための最後の場所である。穏やかな繭のように屋根は僕たちを包んでいて、資本主義の見せる暖かい夢のなかに微睡むことを許してくれる。
テイクアウトのコーヒーは寄進の代わりにもらえる聖水で、この場所の一員であるという感覚を強めてくれる。
しかし、ほど近くにある古墳を訪れるとき、あれほど世界を覆って完璧なように思えた資本主義という夢に裂け目が現れてしまう。ここには屋根がなく、お金を使える場所もない。北関東の寒すぎるからっ風が、僕たちを暖かな微睡から叩き起こすのであった。