日記「石内都、大川美術館」2024.10.18
寝不足。なぜか早起きしてしまった。
小雨が降っている。あさ、回収に間に合うよう急いで収集場所までゴミ袋をもっていく。頭痛がする。
どことなく陰気な天気に寝不足が加わり何もする気が起きないが、お昼ころ大川美術館に車を走らせ向かう。向かうは石内都「STEP THROUGH TIME」。
森の麓にある大川美術館は、いついってもしっとりとしていてさまざまな菌の匂いがする。展示室のカビの匂いで肺が苦しくなるが、この展示ではそれが不思議と桐生の古い風景の写真とマッチしていた。
石内の母の身体と下着など身の回りのものを写した《Mother's》から、《Hiroshima》、そして近年の作《from Kiryu》という一連の流れが素晴らしい。
原爆の被害にあった衣服が表現する悲劇に打ちのめされたあと、桐生の日常を写した写真が現れる。その惨禍と平和のギャップに一瞬困惑するが、傷痕のしみが点在する服と、桐生の風化した壁とには視覚上の共通点がある。原爆の被害者の衣服、寂れた街の壁、その両者ともに石内は皮膚の延長として捉えているのだろうか。この展示を見ていて想起したのは皮膚という言葉だった。
傷跡、しみ、風化、腫瘍、しわ、人間であろうと建物や衣服であろうとそのようなものが表出する「そこにあるもの」を写していたような、そんな感覚を覚える展示だった。
原子論者のエピクロスだったとおもうが、ものが目に見える仕組みを、物体から剥がれたごく薄い原子の膜が目にぶつかるからであると説明していた。ルクレティウスはそれをシムラクラと呼ぶ。
その理屈は当然現代から見れば間違っているが、石内の写真からはそのシムラクラのような、光よりももう少し生々しい何かが発されているように感じる。
それと、「石内都」という名前が良い。石岡瑛子も名前が良いが、石のつく名前の清潔感、清涼感には特別なものがある。石橋貴明、石塚英彦、石川啄木、石田純一、と思いつくまま挙げていって思ったが、「石内都」と「石岡瑛子」が特に清涼感があるだけで、他の名前から受ける印象はわりと普通かもしれない。
展示の最後には「ありがとうございました」という看板?の写真。ユーモラスな雰囲気で締められている。傷とユーモア、そしてカビと菌の匂いが同居する唯一無二の展覧会であった。
帰りに大きな栗がなっていた。
最近ファミレスがマロンフェアなどで栗のデザートを押し出しているが、あまり栗は好きではないので早く別のフェアになってくれないかなと思っている。ココスに2日連続で来たが、ここでもやはりマロンフェアであった。ドリンクバーで友人の依頼を仕上げる。
車を走らせ帰る。アトリエに寄るが、ボーッとするばかりで何も進まなかった。眠すぎたので40分寝た。その後風呂に行き露天のチェアでもまたボーッとしていたらふと絵のアイデアが浮かんだ。明日か明後日試してみようと思う。
風呂のあと、晩ごはんにする。YouTubeのニュースを見ながら食べる。世界のニュースをサッと見たが、北朝鮮がロシアに派兵したらしい。2日前だがレバノンの市庁舎が爆破された。日本では強盗殺人のニュースで持ちきりであった。
危うく、日記を更新する前に寝るところだった。
日記を書くようになってから日常の写真を撮るようになったがそうなってくると新しいiPhoneにしたくなる。しかし、石内都の展示を見るとやはり写真はスマホではなくカメラで撮るべきか、という気持ちにもなってくる。
ただ僕は写真が上手くない。なぜかピンボケするのだ。その点、スマホは適当に最低限綺麗に撮れるようになっている。作品としての写真でなければ十分だろうか。