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日記「巨石群」2024.10.16

朝早い起床。二度寝しそう。
「木こり」という曲が流行っている夢を見た。「森に川に海に、木こり」というフレーズで曲が終わることだけ覚えている。

二度寝しなかった。
寝不足で心臓がドクドクしている。

お昼、市役所に行く。その足で近所の巨石群を見に行く。
書いてみて思ったが「近所の巨石群」とはなかなか凄まじい響きだ。「今日は巨石群が見たいな〜」と思ったときにふらっと巨石群を見に行ける環境なんてなかなか無い。ふと巨石群が見たくなる人はもしかしたら少ないのかもしれないが、僕には年に1回くらいそのタイミングがある。
巨石群とはその名の通り巨きな石の集まっている場所だが、その地理的要因など行くたびに説明を読んでいるはずなのにあまり頭に入っていない。だが巨石群のもつ、大昔からそこにただそこに在るという事実から生じる迫力の前に言葉は無力となる、ような気がする。
ここは、かつての日本の範囲の北限近く、以北には広大な山々が広がっている。この巨石群を中心とした寺社は空海が開山したらしい。その遥か昔から人々の原始的な崇拝の地ではあったというが。

日本の北限であったこともあり、足利氏は征夷大将軍を任命されていたらしい。また、僕の氏である菊地はもとは九州の菊池で、朝廷か何かに命じられた菊池たちが東北に戦に赴き、そこで敗け、下野国に落ち延びてきたのだという。もともとは氵であった菊池が土偏の菊地になったのは、落ち延びた菊池が、いつか武士に戻るという願いを込めて「士」の文字を苗字に組み込んだのがその起りであるという。

巨石群はこんな感じ。ここは胎内巡りといって石と石の隙間を潜ると子宝に恵まれるという言い伝えがある。
今日は人も少なく、苔むした石と、おそらく今年か去年かの豪雨、台風によって看板が倒れていたり足場が壊れていたりしている様子とで、秘境の感が増していた。

帰り、そばを走っている小さい水流を見ると砂が金色に光っていた。手にすくいその正体を見てみると一片は薄く六角形で、片面が金色に光を反射する砂なのか、鉱物なのか、結局よくわからなかった。
最初に気がついたときはまさか砂金かと思ったが砂金とはまったく異なるものであるようだ。詳しい人ならばすぐ同定できそうではある。

往復でなかなか体力を使った。心地よい疲労のまま、帰りしなアトリエに寄り制作をする。ボーッとしている時間が長く、画面にはあまり手が入らなかった。先日水張りした大きめのパネルは、眺めるだけ眺めて結局何も描かなかった。
数年前は画面を凝視していると色彩が正しい場所に凝集していくような感覚を、容易にとは言わないが大層な苦労はなく持てていたような気がする。
それに対していまは凝集する直前に色彩が霧散していってしまうような感覚がある。あらゆる可能性が考えられる白い画面に対し、最近は決意の跳躍をするタイミングを逃すことが多い。
しかし、そのような時期にこそ可能な絵もあるはずなので、作業できなくてもアトリエにいることが大事かもしれないと思うようにしている。
アトリエと近所の巨石群、アトリエと河原、アトリエと大きな公園、そうした往還のなかになにかヒントが見つかれば良いが。

カレーを食べ、モーセのドキュメンタリーを見る。大昔の物語を見て、普通に続きが気になるということに驚く。いったいモーセはこの先どうなっちまうんだ!と思いながら見ていた。
モーセが最初に神託を受ける山はシナイ山である。もともと、多神教の遊牧民たちにとっても霊山であったらしい。巨石群もそうだが、聖なる場所というのはたしかに何かを感じさせるものがある。木々や光、湿度など多様な条件がその雰囲気を醸すのだろう。また、以前沖縄の斎場御嶽に行ったが、そこもまた巨石群の胎内巡りと同じく、産道に準えられた巨石の隙間が存在している。斎場御嶽の方は聖域なので一般人は入っていけないが。
太古の巨石群で行われていたような巨石信仰が、仏教や神道の影響をそこまで受けずに残り、精緻化していったのが斎場御嶽なのだろうか。
しかし、観光地化しきっていない巨石群の醸す雰囲気は尋常ではなかった。ぜひ多くの人に見てほしい。

20分くらい寝落ちした。そのあとジムの風呂に入り、帰宅。お茶を飲みながら日記を書く。

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