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日記「追悼、カリアティッド」

高階秀爾先生が亡くなった。
ご冥福をお祈りいたします。

高階先生といえば、言わずとしれた西洋美術史の泰斗であり、また日本美術についての造詣も非常に深いことで有名だった。近年はその存在が大きすぎ、真実が先か高階先生の解釈が先かなどのような悩ましい?こともあったようだけれど、偉人には違いない。
二度お会いしたことがある。一度目は芸大の講演にいらしたときに質問して、「それは難しい質問ですね笑」と言われた。何を質問したのかは忘れてしまった。矢代幸雄についての話だった気がする。
二度目は、今年、日経日本画大賞展の授賞式でお見かけした。矍鑠とお話しされていたが、お年を召されたな、とは確かに思った。
学生のころ著作は色々と読んだけれど、なぜか一番印象に残っているのは、カリアティッドに関する文章で、たしか「カリアティッドは美術館に簒奪されることをどこかで望んでいたのかと思えるほど、完結した美を持っている」みたいな感じのことが書かれていた箇所であった。
そういえばアテネのアクロポリスで昔カリアティッドを見た気がしたけどあれはレプリカだったのだろうか。
後世に実現される価値観が、実は先だった時代の芸術に内包されているという発想を僕はここで初めて認識し、印象に深く焼きついたのであった。

おそらく先生が留学し、日本に帰国してから超人的な量の研究をこなしていた数十年前、日本の美術界は青春時代だった。
藤子・F・不二雄の「老年期の終わり」という短編があるが、文明には揺籃期、少年期、青年期、壮年期、老年期があり、老年期を迎えた文明は最後の時を静かに待つしかないというような世界観のもと展開する話だ。種々のジャンルや業界にもそれは存在するように思う。
日本美術の青年期はとうに過ぎ、老年期に差し掛かりつつある。それとまさに併走し体現していたのが高階先生(と他の同年代の美術家、学者の人たち)だったのだろう。

しかし有名人の訃報が続く、ような気がする。
そんな気がした直後に、いや亡くなる人たちが自分でも知っているような年代の人になってきたということか、と思い直す。

有名人の名は、社会という神殿の多々ある柱のひとつから始まり、やがてその形の完結した美により簒奪され文化財として世界に対して展示される。一個の独立した形態は、そのために劣化を免れ得ない。つまり個として死ぬことがその瞬間運命付けられる。
有名化しなかった神殿の残りの部分は、テセウスの船のようにすこしずつ入れ替わりながら永遠の存在でありうるだろう。それが大衆という在り方であり、彼らはそれ故に死なない。
その両方のいいとこ取りをしようとしているとボリス・グロイスに指摘されていたのは僕の好きな芸術家、イリヤカバコフだったが、その彼もそういえば最近亡くなった。


今日の朝、街には濃い霧が出ていた。

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