日記「白楽天、アルツハイマー、いびき」・2024.10.10
カプセルホテルの仮眠室にて起床。
いびきがうるさくて1時間毎に目が覚めてしまった。今度から耳栓か何かが必要だ。それかAirpodsでもつけておけばよかったか。
いびきをかいている本人がその音で起きてしまわないのが不思議だ。ジャイアンの歌声がなぜ本人にはダメージが与えないのか不思議に思ったのび太に対してドラえもんが放った「あたりまえだろ、フグが自分の毒で死ぬか!?」というセリフが頭をよぎる。
僕自身は寝ているとき、死んだんじゃないかと思われるくらい静からしいが、いつかはいびきを豪快にかきならすようになるのだろうか。
このカプセルホテルは大浴場があるのが良い。そして安い。朝風呂に入ってチェックアウトする。
職場に向かう途中、カフェでモーニングセットを食べる。川井康三『白楽天ー官と隠のはざまで』(岩波書店、2010)を読了した。
「閑適」という言葉は白楽天以前にはなかったらしい。俗から離れ仙人のようなストイックな暮らしをするわけでは無く、あくまで今の生活に満ちたりた「中隠」を良しとする白楽天のオプティミストぶりを見ると気が楽になるが、いくら作品に現れる感覚が幸福なものであろうと、彼の生活がすべて薔薇色だったわけではないらしい。
無二の友、元稹が亡くなったその同じ年、息子をも亡くした白楽天は、悲しみを間違いなく抱いたまま、しかしそれでもなお幸福な生活を詩に詠んだのだ。
ラウシェンバーグの《消されたデ・クーニング》という作品がある。デ・クーニングのドローイングをラウシェンバーグが消しゴムで消したという作品だ。画面上には消された痕跡が残るのみである。
白楽天の幸福な詩を読むとき、幽かに残るデ・クーニングの鉛筆の跡が頭に浮かぶ。
悲しみの上を明るく陽に満ちた白いレイヤーが覆う。その層に白楽天が達者な筆使いで詩を書いていく、そんなイメージ。
職場に着く。仕事内容は割愛。
お昼ご飯は、最近職場近くのマイバスケットでモッツァレラを買ってそれにアジシオをかけて食べるのにはまっている。お箸ででかい塊のままのモッツァレラをモッツァモッツァと食べるのはなんというか贅沢さと貧しさが不思議と同居した食体験だ。きちんと切ってオリーブオイルとバジルでも散らせばもう少しかしこまった料理になるがそれでは逆に些か場違いである。
塊のモッツァレラをモッチャモッチャと、ンメンメ!と食べる僕には一抹の悲しさが漂っているだろう。だがそれくらいが職場のランチにはちょうど良い。
15時過ぎ、帰宅の途につく。
電車の中で昨日から再読し始めた『アルツハイマー病研究、失敗の構造』を読了する。
第10章「老化の生物学から始めよう」が大変興味深い。
「ひとつの特徴が生物に何かの利益を授けるのでなければ、その特徴が世代を超えて保たれることはない」(p.230)
言われてみれば確かにそうだが、年をとることはあまりにも当たり前のことであるため疑問に思ったこともなかった。だが、老化せず恒常の若さをたもち、あるとき突然死ぬような進化の経路をたどってもおかしくなかったはずだ。老化は進化を通じて生き残った機能であり、だとすれば我々に対する何らかの隠された恩恵があるのだろうか?そうした疑問に答える仮説のひとつに「拮抗的多面発現説」という説があるらしい。
かいつまんでいうと、生殖可能な時期に利益がある遺伝子変異ならば、たとえ後年マイナスな効果を発現したとしてもそれは進化において保持されるという考えである、らしい。
人生の後半の遺伝的資源を前借りして若い時期をブーストしているようなイメージだろうか。
寿命が伸びるにつれ、保持されていたこのような性質のデメリットが大きく生じるようになった。
「だからアルツハイマー病などの老化関連疾患が大きな問題となった。こう考えると、アルツハイマー病の存在はじつは現代医学の勝利とも読める。」(p.233)
なるほど、たしかに言われてみればそうかもしれない。
通常の忘却には、先に挙げた《消されたデ・クーニング》と白楽天の詩のイメージのようなある種幸福な感覚がある。全ての記憶を等価に覚えている人のドキュメンタリー番組を見たことがあるが、苦しい記憶、喪失の悲しみなどが、時間によってまったく薄れることなく昨日のことのように生々しく立ち現れることの辛さを涙ながらに語っていたのを覚えている。
それに比べれば忘却という淡い黄色を思わせる言葉の持つ響きは甘美とさえ言える。
しかしアルツハイマー病に伴う忘却や、認知機能の低下はそんな生やさしいものではないのだろう。本書の終わりには今後の展望が示されている。何はともあれこの悲劇的な病気が完治される未来を待ち望んでいる。
眠すぎるので特急で帰る。普通より700円も高くなってしまうが仕方がない。仕事のある日は疲れてしまいなかなか制作ができない日も少なくないが、なまじ長距離の移動であるがゆえに行き帰りの電車で映画を見たり読書できたりするのが良い。職場が遠いのも悪いことばかりでもない。
家につき、晩御飯を食べる。カレーパンと筍ご飯、ヤゲンナンコツと味噌汁という謎の献立。眠気が限界に達したので、仮眠しようと思う。仮眠では無く本眠になってしまったときのことを考えてもう日記をアップしておく。