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「逃げるな」と教えてくれたお客様の話

今から20年近く前のこと。
私は第二新卒で派遣会社の営業として働いていました。
入社2年目。先輩の手を借りずに何とかやっていけるようになり、

「私、できる!」

なんて、今思えば恥ずかしくなるくらい調子に乗っていました。

でも、実態は違いました。

経験も乏しく、商談で飛び交う専門用語は表面的にしか理解していない。
頭の中では「DTP? 面付? トンボ?」と、なんとなく知っているつもりでいたけれど、深くは分かっていない。

それでも「こんなこと聞いたら舐められるかも」と、謎のプライドが邪魔をして、知ったかぶりを続けていました。

商談中はとにかくメモを取り、会社に戻ってネットで調べ、何とか乗り切る。
そんな毎日。

最初に担当したのは、創業30年の製版会社。
社長と長男の営業責任者、次男の部門責任者が切り盛りする、少数精鋭の会社でした。
一方、私は浅い&軽いノリの営業。
完全になめられ、怒られてばかり。

怖いし、面倒だし、取引が終わればいいのに。
諦めてくれないかな…そう思っていました。ほんと自分勝手ですよね。
でも、自分から終わらせる勇気もない。
「当たり障りなく、そつなくこなす」 それが当時の私の営業スタイルでした。

「大至急折り返せ」—— 忘れもしない猛暑の日
取引が始まり1年が経った、ある夏の日。
携帯に会社からの伝言が入っていました。

「○○会社の○○社長から、大至急折り返せ、とのことです。」

…もう、この時点で嫌な予感しかしません。
「大至急」って、大体クレームじゃないですか!?

先延ばしすれば事態が悪化するのは目に見えていたので、覚悟を決めて折り返しました。

電話に出た社長は、開口一番こう言いました。

「あなたじゃ話にならん。社長に来てほしいくらいだ。」

…やばい。

声のトーンからして、ただ事ではない。
でも、私に電話をしてきたということは、私に来いということですよね。

何が起こったかも聞けず切電。
すぐに上司に連絡を入れ、クライアントの元へ向かいました。

道中、私は「派遣スタッフが仕事で事故を起こしたのか?」と想定し、
「リカバリー策を考えなくては!」と上司に言いつつも、内心ドキドキ。
まあ、謝ればなんとかなる。とも思ってました。

でも、事態は想像をはるかに超えていました。

派遣スタッフが、自分のブログに会社の悪口や業務内容を投稿していたのです。
しかも、それを取引先、さらにその上の取引先が先に発見し、30年来の取引が切られそうになっていると。

社長は黙っていました。

沈黙を破ったのは、制作責任者の次男。

「会社が潰れるかもしれない。どうしてくれる!?」

私は震えました。
「こんなことってあるのか?」 いや、あるんだ…。

派遣スタッフには、すぐにブログの削除を指示しました。
でも、それで終わりではありませんでした。

社長の前には、ブログのプリントアウトが束になって置かれていました。
分厚くて、重たい。

額から流れるのは汗なのか、冷や汗なのか、もはや分かりませんでした。

「会社に持ち帰り、本日中に対策をご連絡いたします。」

と伝えるのが精一杯でした。

その後の対応には約1年を要しました。
最終的には少額の示談金で決着がつきましたが、話し合いの間も取引は継続していました。

なぜなら、社長がこう言ったからです。

「取引をやめるつもりはない。」

え?やめようよ。。私は本音を言えば、取引をやめたかった。
こんなトラブルが起きた以上、関係をリセットしてしまいたかった。

でも、逃げなかったのは、社長が激怒していたあの瞬間を目の当たりにしたからです。

当時、社長は体調を崩され、現場復帰したばかりでした。
体力的にも大変な状況だったのに、それでも会社の未来を守るために全力で怒っていました。

どうしよう、社長が倒れたら。

どうしよう、会社が潰れたら。

そんな恐怖を感じながら、私は眠れない夜を過ごしました。

軽い気持ちで提案した派遣スタッフ。
売上が欲しかっただけの自分。

信頼関係は一瞬で崩れることがある。
たった一つの失敗で、取引停止どころか、会社が傾くこともある。

営業とは、責任の重い仕事だ。
当事者として向き合う大切さを、この経験で学んだ。

あの姿を見たとき、私は心の中で決めました。

「この人の前でだけは、絶対に逃げてはならない。」
「しんどいことから逃げない」

それから数年後、私は転職しました。
時々ふと思い出します。

社長の正確な年齢は分かりませんが、おそらく今は70代後半。
それでも、Webサイトをチェックすると、まだ代表を務めているよう。
今でも1ヶ月に1回はチェックしてしまいます。

「取引をやめるつもりはない。」

この言葉が、今でも心に残っています。

自分も経営者の端くれになった今、思うこと。
当時の私は、ただ売上を作りたかっただけ。
取引を続けることが正しいのかも分かっていなかった。

大切なことに気づかせてくれた社長と、あの出来事に感謝している。
ありがとうございました。


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