【自己紹介】 菊池遼
画家の菊池遼です。
よく考えると自己紹介記事を作らないままnoteを始めていたので、ここいらで最近私のことを知ってくださった方にも私がどのような人物なのかを分かるようにしておこうと思い至りこの記事を作成しました。
…
私は2023年に東京造形大学という美術大学で博士号を取得しました。
美術大学の博士課程は制作系(作品+博士論文で修了)と理論系(博士論文のみで修了)があるのですが、私は制作系の博士になります。なので博士号持ちとはいえ作品も作っています。
博士課程修了後は作品制作と論文執筆を軸に活動を行っています。
以上が簡単なプロフィールなのですが、以下ではもう少し詳しく私の自己紹介を行なっていきたいと思います。
1. 経歴
私は先の通り2023年に東京造形大学の博士課程を修了していますが、そこに至るまでのキャリアは学部→修士→博士というストレートなものではありませんでした。ということで、その辺りの経歴について書いてみたいと思います。
東京造形大学:学部(2011年〜2015年)
私の学部入学は2011年です。
博士修了が2023年なのでこの時点でストレートに博士を修了していないことが分かると思います。
さて、2011年といえば東日本大震災のことを思い出さざるを得ません。実際、2011年に学部入学ということは東日本大震災の直後に大学に入学したということであり、記憶では、入学が少し遅くなったり、それに伴ってカリキュラムの日程が少し変更になったりしました。
ちなみに、私は一浪して大学に入学しています。なので、現役で大学に入った同級生は1992年生まれでしたが、私は1991年生まれになります。
学部生の時から母袋俊也という当時教授だった画家に指導をしていただき、母袋さんの絵画観や美術観などを通して私は絵画や美術を勉強していくことになります。
学部の4年間はまあ勉強と制作しかしていなかったと思います。
ありがたいことに卒業制作は優秀賞(造形大学ではZOKEI賞という名前)をいただきました。
東京造形大学:修士(2015年〜2017年)
学部の卒業が2015年で、そのまま修士課程に進学することになります。
修士では先の母袋さんに師事してより深く絵画や美術について勉強しました。まあ修士のあいだも勉強と制作しかしていませんでした(あと研究)。
この修士のあいだはシリーズをたくさん作るということを意識して制作と研究を行いました。この修士課程に入学してすぐ制作を始めたのが〈void〉というシリーズ(後で詳しく論じます)で、いまではこのシリーズが私の代表的なシリーズとなっています(この記事を書いているのが2024年なのですが、もう9年以上も取り組んでるんだなぁとしみじみしてしまいました)。
修了制作でもありがたいことに優秀賞(ZOKEI賞)をいただきました。この賞や修士課程のあいだにばんばん活動してたおかげで日本学生支援機構の奨学金が200万くらい免除されました。助かる。
東京造形大学:助手(2017年〜2020年)
さて、こうして修士課程を修了するのですが、この後ストレートに博士課程に進学することはしませんでした。まあ、金銭的な事情です(先の免除されたものも含めて900万ほど学部と修士の時点で奨学金を借りていたのでこれ以上借りる選択肢は自分の中でありませんでした)。
なので、修士課程の修了後に博士課程進学のためのお金を貯めようと思い働くことにしました。ありがたいことに助手として雇っていただけることになったので、修了後の3年間、2017年から2020年まで東京造形大学の絵画専攻の助手として働くことになりました(任期が3年)。
まあ、助手の給料はなかなか厳しいものがあったので、2年目までは助手のあいだに博士課程進学のためのお金は貯まらないなと思っていました。なので助手の任期が終わった後は普通にあと3年くらい働いてお金を貯めて、それで博士課程に進学しようと思っていました(就活を見越して助手のあいだに免許も取りました)。
しかし、助手の3年目に作品がまあまあ動くようになったり、大きい作品関係のお仕事をいただいたりして、なんとか助手のあいだに博士課程に進学するためのお金を貯めることができました。感謝。
その大きい仕事というのはミュージアムタワー京橋という超大型ビルのエレベーターホールの合計13階分に作品を入れさせていただくというものになります。最上階は360°作品に囲まれるという体験を作ることができて自分の代表作の一つが作れたと思っています。
東京造形大学:博士(2020年〜2023年)
そうしてなんとかお金を貯めることができたので、助手の任期を終えた2020年から造形大学の博士課程に進学することができました。ところで、2020年は新型コロナウイルスが世界に広まった年です。学部の入学時は東日本大震災、博士課程の入学時はコロナと、なんだかなぁという感じではありました。
コロナのことはみなさん記憶に新しいと思いますが、例に漏れず自分も大変でした。入学当初は学内のアトリエも使用できなければ図書館も使用できないなど、苦労して手に入れた博士課程の大切な時間を上手く使えないことはとても辛かったです。
博士課程のあいだには年一本のペースで論文を書いて、3年間で博士課程を修了することができました。まあ、とにかく辛い3年間でしたが、ここで自分の限界を超えた努力をしたおかげで、自分のいまのユニークなポジションというか、能力のようなものを培うことができたように思っています(それにしても辛かったけど…)。
そういえば、博士課程に入学するために自分の作品を主題にした論文を助手の時に書いたのですが、どうやら造形大学の助手で論文を書いたのは自分が初だったそうです。なんじゃそりゃ。まあ美大の助手ってそんなもんですよね。モラトリアムの延長の人が多いというか。
さて、博士審査のために開催した博士審査展は、造形大学の附属美術館をすべて使用するという凄まじいボリュームで開催しました。
当然このボリュームの展示を一人で設営することはできないので、後輩たち30人ほどに手伝っていただいて、タイトなスケジュールで設営を行いました。本当に手伝ってくださった後輩たちには感謝しかありません。
博士論文では「鑑賞距離」という観点から絵画の造形性について分析するということを行いました。下記にリンクを貼っておくので興味を持ってくださったらぜひダウンロードして読んでみてください。無料です。
現在(2023年〜)
こうして2023年に博士課程を修了し、なんとか博士号を取得することができました。以降は埼玉県にアトリエを構えて、日々制作と研究を行いながら活動を行っています。
また、現在制作活動のほかに大学で非常勤講師などもやっています。しかもなんと座学です。普通に90分×15回を学生の前で喋ってます。なんというか、30代前半の画家が90分×15回を喋れるって結構すごいことなんじゃないかなと最近思い始めました。
ということで以上が学部入学から博士課程修了までのざっくりとした経歴でした。
最後に今後の展望を述べておくと、
・2024年中に論文を2本仕上げる
・2025年の春に個展
辺りが近々の目標です。頑張ります。
ちなみに、論文は今後も年一本ペースで書いていくつもりです。とりあえず2026年まではもう書きたい内容もあるので、なんとかかたちにしていきたいです。あとはそれらを書いてたらまた書きたい内容が出てくると思うので、そういう感じで末長く研究を続けたいと思います。
あと、中長期的な目標としては、30代のうちに本を二冊書くというものを立てています(いま自分は33歳です)。一冊は博士論文に論文を二本加えたもの、もう一冊は書き下ろしというイメージでいます。
まあ、書きたい内容は結構明確にあるものの、現実的なことは何も決まっていないのですが、口に出していかないと叶うものも叶わないと思っているので、背水の陣を作るためにまあまあ言いふらしています。頑張れ自分。
以上、経歴でした。以下に研究と作品の紹介を繋げるつもりですが、書くのに疲れてしまったので今日はここまでで公開してしまおうと思います。読んでいただきありがとうございました。
2024.10.25 菊池遼
2. 研究の紹介
coming soon
3. 作品の紹介
coming soon
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?