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「君は大物になる」はずだった?(日記)

小学校の三年生から六年生まで、少年野球をしていた。ふだんはコーチと子どもたちで練習をしていたが、ある時、どこかの企業のクラブチームの大人と一緒に練習する日があった。先にも後にも、そういう機会はなかった。

※サムネイルの画像は高校生の時のもので、内容とほぼ無関係です!

その日はちょうど今日のような真冬の時期で、場所は工業団地の外れによくある、だだっ広いグラウンドだった。一人だけ背の高かった(そうだった、僕は確かに背が高かった!5年生で165センチくらいあった)僕は、赤いユニフォームを着たクラブチームのおじさんたちに気に入られた。肩を組んできたお調子者のおじさんは、朝9時の凍ったグラウンドにいるのに、酒を呑んだ人の匂いがした(余談だけど、僕は酒そのものの匂いより、酒飲みの息の香りに懐かしさを感じる)。

キャッチボールとかシートノックとかをした後に、みんなでピッチングの練習をすることになった。ブルペンというピッチャーの練習場に行って、キャッチャーのキャプテンに向かって、子どもたちが代わりばんこでボールを投げていく。クラブチームの人たちはそれを見ながら、あれこれ言うのだ。

僕は背が高くて人より速い球が投げられるということで、普段からピッチャーになることが多かった。しかし自分では、まったく気が進まなかった。どうやったら、キャッチャーが構えている範囲にぴったりとボールを投げられるのかまったく分からなかったし、今も分からない。だから一球一球がコイントスのような気まぐれだった。
その日も仕方なく投げたところ、やはりほとんどが「ボール」だった。僕は例のごとく、とことん恥ずかしくなった。おまけに今日はおじさんたちの品評会ときている。その視線がかなり堪えた。

けれど、赤いユニフォームのおじさんたちは、なぜか僕にずっと投球練習をさせた。たまに、ワンバウンドする球まで投げることがあったにも関わらず。しまいには、さっきの酒飲みのおじさんがネットの裏で「君は何かを持っている!」とか「大物になるぞ」とか言い出した。あまつさえ他のクラブチームの選手も、冗談じゃなく、おおむね同意するように笑った。子ども心にも、彼らがジョークを言っている感じは全くしなかった。

あれは何だったのだろう。
もし僕の人生が地上波ドラマであれば、あれは「若き球児の、輝かしい野球人生のターニングポイント」か何かだったのだろう。けれどご覧の通り、僕は大物でもなんでもない、ただの青年になった。だから、その酒飲みのおじさんの言葉を思い出すたびに、ヘンテコな気分になる。カラオケでどうしても曲にキーが合わない時のように、何か肝心なものがずれてしまったような不自然さ悪さを感じる。
もし僕が今、そのおじさんに再会したら、「なんか、期待外れでスイマセン」と口にしつつも、本心ではふてぶてしくも、その日の晩飯のことでも考えているのだと思う(それか、そのおじさんと呑みに行くかもしれない…)。

そういえば、精神科医&Youtuberの益田先生が、「仕方がない。生まれてきてよかった」とどこかで言っていた。僕も上の通り、「大物にならなかったとしても仕方がない。まあ、今の感じでもいいじゃないか」という思うので、その発言にはじっとりと共感したことを思い出した。

そう、今の自分には何もないような気がするけれど、透明だったり、ゼロだったりするわけではないのだ。さしあたり、それを忘れなければ大丈夫な気がする。

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